神格化の心理

僕がゲイである事をnoteでカミングアウトしたのをキッカケに僕に対してリスペクトしたり称賛してくれる人が増えました。
RTなどを促したところ思った以上に多くの人に見てもらえて反応が貰えたのはとても嬉しくあります。
ここで僕があの記事をキッカケにnoteを書いて発信するようになったそもそもの原動力は何かをもう一度書き連ねたいと思います。

カミングアウトの記事はこちらです↓

僕の当初の目的としては、自分自身の説明書のようなものを予め提示する事によって誤解を回避したいという所が大きいです。
異性愛者であるという前提が当たり前になっている事に対しての不満から解放されたい、そしてできるなら異性愛者と同じように普通にオープンに恋愛の話やセックスの話をしたいという本当に個人的な気持ちが最初の原動力でした。

しかし実際にあの記事を書き進めていく内にあらゆる物事を関連付ける僕のADHD脳が生み出した結論は、周りを巻き込んで集合知を生み出す必要があるという事です。
単に僕個人を理解してもらうという事だけでは全く物足りない事に気づいてしまったのです。
もっと大きな波を起こしたい、つまり社会に変化を起こしたいという気持ちです。

今までは心理学を土台に個人に対して目を向けていたのですが、それだけでは大きな波を起こせないし僕の理想を叶える事はできないと気づいたのです。
つまり社会というより大きな集合体に対して目を向けるという方向に行かざるを得なくなってきたのです。

社会学に関しては最近ようやく興味を持ち始めた始めたばかりで大した知識はないのですが、社会学はあらゆる問題を社会現象として捉える事で問題の背景を探っていくというような立ち位置の学問なのかなと感じています。
個人を自己責任論から解放してくれる実はとても優しい学問なんじゃないかと考えています。

心理学で個人を分析して見ていくという流れからの社会を背景に個人を見ていくという流れへの変化と僕の書いたカミングアウトの記事の目的が変化した事はほぼほぼ同時に起こった事でどちらが先に変化したのかは僕にも分からないのですが、これは単なる偶然ではなくある種の必然であったのかと思います。

さてだいぶ前置きが長くなってしまったのでここで本題に入りたいと思います。
タイトルにある通りこの記事のテーマは「神格化」です。
僕のnoteに対して様々な反応をもらって肯定的な反応が多い事に嬉しく思いながらも、今現在僕が直面している問題は称賛を浴び続ける事に苦しさを感じるという事です。
理解されない事へのストレスから解放されたくて書いた記事なのに称賛を浴び続けるとそれもまたストレスになる自分に対して面倒な奴だなとも感じつつも、客観的に見てやはり称賛をされるのは少しリスクがあるように思うのです。

まず僕がカミングアウトの記事を書いた第一の目的として多くの人に自分が理解されたいという気持ちがありました。
そしてその上で周りの人たち(特に非LGBT)に対して知らない世界を知って欲しい、そしてそれを通じて自分の視野を広げて欲しい、もっと言うならゲイである事を隠す事の辛さを通じて多くの人たちを抑圧から解放したいという気持ちがあります。
しかし今となっては自分が理解されることよりも抑圧される事の苦しさとそこから解放される事の価値を伝えたいという気持ちの方が大きくなっています。

僕の目的がハッキリと伝わった上で称賛される事は良いのかもしれませんが、ただ単に称賛される事は僕の目的とは違うのです。
称賛をして僕を神格化する事で僕という価値と自身を同一化して自分は何も変わっていないのに借り物の価値を手に入れるというようなそういう雰囲気に違和感を感じるのです。
つまりただ単に僕を称賛をすることではなくて、僕の記事などが自分の頭を使って何か新たな気づきを得るとかそういうキッカケになる事が僕にとっては喜ばしいのかと思います。
つまりは主体性を促したいという事です。

多くの人たちに幸せになって欲しいとは思いますが、僕が幸せにするのではなくて本人が幸せになろうとして幸せに向かうであろうベクトルで人生を歩んでいくのが理想で他人にできるのはそのキッカケを与える事だけです。
自分が「幸せにしてあげる」というスタンスの人はどこか宗教的でメサイアコンプレックス的であると僕は感じます。

このような神格化現象はいわゆるメンヘラな人の恋愛や特定のアーティストの信者になる人にもありがちな心理でしょう。
自分自身を無価値だと感じる人がその「無価値である」という感覚から逃げるために、価値を感じる他人を称賛してその人と自分を同一化する事で自分自身の価値が高まっていると錯覚するという原理です。
しかしこのように他人の借り物のアイデンティティを持って生きたところでそんなものはすぐに壊れてしまいます。
そして何よりも自分都合の理想化したイメージを膨らませる事で勝手に僕に対して失望して恨まれる、このような現象に対して怖さもありますし正直なところなんとなく気持ち悪いなと思ってしまうのです。

その為、称賛されればされるほど人から距離を取りたくなる時があるのです。
期待される事自体は良いのですが、期待のベクトルが間違った方向である事が怖いのです。
極端に言えば僕の言う通りにしていれば全てが叶うとかそういう風に思われても困るのです。
僕一人が相手の人生を全て背負う事はできませんし、最終的には本人の主体性が大事でその主体性が生まれる為の土台作りの手助けやヒントを与えるくらいの役割しか僕にはできません。
そしてそれは僕が力不足だからではなく、あくまでも他人だからです。
この「他人だから」という言葉に冷酷さを感じてしまう状態の人はきっと僕と関わると傷ついてボロボロになって僕を恨むんじゃないか?と過去にもそういう経験があったせいかそんな恐怖があります。

先日、社会学者の宮台真司さんが刃物で数十箇所を刺されるという事件がありました。
まだどういう背景であの事件が起きたかは分からないのでなんとも言えないのですが、カリスマ性はあるものの尖った発言が多い方なのでもしかすると勝手に理想化した挙句の身勝手な失望した末の犯行という可能性もあり得るでしょう。
認知の歪んだ人間による全くもって公共性のない私的な恨みによる犯罪というのは少なくありません。

また、称賛される事で自分自身が調子に乗ってしまいそうで怖いという気持ちもあります。
あの記事を単なる承認欲求で書いたとは思いませんが、僕自身に承認欲求が0というわけではないと思うのです。
そんな自分が称賛をされる事の気持ち良さに酔って調子に乗って自分の力を過信する事は僕自身の能力を停滞させる原因になるのではないかという怖さがあります。
少し大袈裟な話をすると、称賛をされる事にはカルト宗教の教祖を擬似体験するような感覚があるのです。
脳内物質がドバドバ出て気持ち良くなって全能感に満ち溢れて称賛に依存して自己愛性パーソナリティのような状態になる事は望ましくないのです。

昨日とある友人にいつか誰かに恨まれて刺されるんじゃないかと警告をされました。
実を言うと宮台真司先生の事件を受けて僕自身もそう感じていたところでした。
とても簡潔に彼の理屈を説明すると、僕に対して尊敬の念を抱いている人に対してふるいにかけるような対応は良くないのではないかという話でした。

一理あるなと思いつつも、なぜそういう行動に出てしまうのか自分でも分からないところがあったのでそんな事を考えながらこの記事を書くに至りました。
そう、書く事でその件についての答えが見えてくるのでは?と期待していたのです。
おそらく僕がふるいにかけてしまう理由は、牽制しているというような意味合いが強いのかもしれません。
僕に対して盲信し、主体性を持たずに依存する相手に謎に恨まれたりする事を避ける為にあらかじめ注意を促すような感じでしょうか。
それは僕自身が自分の能力を信じていないという事よりもふるいにかけている相手に対しての不信感があるという事でしょう。

しかしふるいにかけられることは相手の立場からすると能力による選別だと捉える事もできるのです。
強者の理論を突きつけられるような冷酷さを感じるのではないでしょうか。
抑圧から解き放ちたいとか人の幸せを祈るとか社会を良くしたいとか綺麗事を言っているけど結局選別して自分の事を見捨てるんだろという風に思われる可能性は大いにあると思います。

こうして自分でも考えてみると彼の心配は確かに現実にあり得るなと思うのです。
しかし少なくとも今の自分の能力やメンタリティや思想においては、やはり間口をあまり広くしたくないという気持ちが強いです。
マニアックな音楽を好むアングラ精神にも近いのかもしれませんが、発信力を欲しがりつつもそれが広がりすぎる事に対しては消極的で狭く深くのスタンスを維持したいのが現状です。

僕自身がまだまだ未熟でありそこまでの心の余裕がないのも大きいでしょう。
大衆性を持たせる事によって責任が大きくなりすぎて手に負えなくなり自分の人生の質が落ちる事を避けたいのです。
人生の質が落ちるという事は確実に発信の質も落ちる事になるでしょう。
僕の尊敬する某ボイストレーナーさんが「仙人みたいな立ち位置でいたい」と話していた気持ちが今は少し分かるような気がします。
その先生も僕もきっとポピュリズムに傾倒する事を本能的に嫌ってしまうのでしょう。

もし僕から影響を受けて僕を尊敬してくれる人がいるのであれば、その人には僕を超えてほしいと思うのです。
僕の影響を受けた人が僕よりも上を行って僕を打ちのめすくらいの方が良いのです。
そしてその人によって僕が新たな気づきを得る、それが僕の理想です。
弟子が師匠を超えないのは師匠の失敗であるという話を恩師から聞いた事がありますが、その話と近いかもしれません。

いつにもまして個人的な葛藤が混ざる記事になりましたが、意外にも個人的な葛藤が混ざった記事の方が評判が良い気もするので楽しんで読んでいただけたら幸いです。

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