メサイアコンプレックス

この間初めて知った言葉で「メサイアコンプレックス」というものがありました。

メサイア(messiah)とは救世主という意味で、多くの人にとってはメシアという言葉の方が馴染みが深いかもしれません。

メサイアコンプレックスとはつまり人を助ける救世主になる事で自分が満たされようとする、救われようとする事を言います。

自分がろくに満たされていないにも関わらず自己犠牲的に他人の助けになろうとする人がいる。

お節介なタイプなんかが該当しそうですね。

僕は昔からどうも世話好きな人が苦手です。

自分が必要だと思っていないところまで介入して助けようとしてくる人に対してどうしても煩わしさを感じるのです。

仮にそれが僕にとっての盲点で実際にはとても必要な助けである場合もあるかもしれません。

しかし直感的に僕が「不快だ」と感じる人というのは相手にとって何が必要なのかまで考えて助けようとはしていないのです。

人の為に何かをしてあげる事が悪いとは思いませんし、むしろ尊い事であると思います。

しかし相手に執拗に感謝を求めたり、相手が喜ばないと不機嫌になるという人であればそれは原動力が自己満足であるのは間違いないでしょう。

かと言って人を助けようとする時に完全に自己満足を捨てるというのは相当難しいか無理である可能性は否めません。

割合がどうなのかという事と、素直に自己満足であると認められるかどうかが重要になってくると思います。

相手にとって必要じゃない手助けを執拗に繰り返している人はまさにメサイアコンプレックスであり、そこに依存している状態です。

他の記事でも書きましたが、何をするかも大事であるが原動力が何であるかというのは非常に大切です。

やっている事が表面上は立派でもそれが自己満足であって相手の心が全く見えていない人というのは結構多いように思います。

おそらく他人に意識を向ける事によって自分と向き合うから逃避する事ができるのでしょう。

人間は何か価値のあるものに打ち込んでいると思える時は満足感が得られます。

メサイアコンプレックスの厄介なところは、本人が本当にそれが良い事だと思い込んでいるところにあります。

それを良い事だと思っている状態から何処かで抜け出さない限り永遠にメサイアを演じ続けます。

執拗に宗教などの勧誘をする人がいますが、彼らはおそらくメサイアになるように洗脳されているのでしょう。

自分の所属している団体が社会にとって利益をもたらす素晴らしい存在でそこに対して奉仕する事は立派である、素晴らしい事だと本気で思っているのです。

これを長年続けてしまった人というのは、もはやそこ以外に救いがない為に「おかしいな?」と勘づきそうな場面においても認めようとしなくなるためどっぷりその団体を盲信してしまうのです。

カルト宗教にのめり込む人というのは重度のメサイアコンプレックスと言えるかもしれませんね。

追記

僕の好きなHAKENというプログレッシブメタルバンドの大好きな楽曲で「Messiah Complex」という曲があります。

何部かに分かれて組曲になっている大曲ですがめちゃくちゃかっこいいので是非おすすめしたいです。

https://youtu.be/iHhOJlJpdbA


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