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生きる力とはなにか

改めまして本年もよろしくお願いいたします。
私の学校、生徒の話、私の考える学校教育のあり方について、またIB教育にまつわるトピックについて、今年も週1回を目処に記事を書いていこうと思います。

突然に立ちはだかる困難

実は元旦にも、記事を書かせていただきましたが、まさにその日に、能登の地震があり、翌日にはそれに連続する形で飛行機事故がおきました。
地震だけでも悲劇なのに、それを助けようと救援物資をまさに運ぼうとしていたその航空機が事故に遭うというのは・・・運命は本当に残酷です。

身近な人間の死に直面する時、今回のような突然の惨事を目の当たりにする度に思います。
お金も、名誉もあの世に持っていけるわけでない。
今という時間を幸せに生きられることの価値。

人の人生において大事なことについて、子どもたちに伝えるべきことはなんだろう・・・

不登校・・・絶対に大丈夫!

Noteを始めたことをきっかけに、我が子の不登校のことで私に相談に来た方がいらっしゃいます。
要は、「自分の子は学校へ行けないのだけれど、このまま将来どうなってしまうのか不安でしかたがない」と言われます。
いわゆる不登校児童を抱えている親であれば、おおよそ、基本的な不安は「将来我が子は大丈夫なのか」ということです。

この記事を読んでいる方の中に、同じような不安を抱えている方がいらっしゃるかも知れませんので、僭越ながら私の考え方を少し書かせていただきます。

絶対に大丈夫です。

能登の地震の報道をみて、もし自分があの方たちの立場だったとしたら、崩れ落ちた家の、がれきの下から我が子を救い出せずに立ち尽くしている自分を想像した時、その子が不登校であるかどうかに、どういう意味があるのでしょうか?

話が飛躍しているというかも知れません。でもこれもまた現実です。

確かに、「嫌なことを避けて生きることを認めては、大人になってから社会を生きていけなくなる」、それもわかります。
でも、本当は学校に行かないといけないことはわかっているし、そうすれば家族が喜ぶこともわかっているけれど、どうしてもそれができない、その挫折感や自分に対する落胆を、本人は我々大人が思っている以上にすでに感じて、自分を責めている場合がほとんどだと思います。

人生は短距離走ではありません。むしろ大人になってからの方が長く続きます。今の学校や教育制度に合わないといって寄り道を数年したところで、カムバックできないわけがありません。

人生は自分の力で切り拓くもの

それに考えてみてください。皆さんが「行かなくては大変なことになる」と思っている学校が、果たしてお子さんの人生を守ってくれるでしょうか?
確かに学校で学ぶことはたくさんありますが、そこに真面目に毎日通ったからといって先生が一生面倒みてくれたり、何かその先の人生の成功を保証してくれるわけでもないんです。

つまる所、自分の人生は自分で切り拓いていくもの、自分で生き抜くものです。誰かの責任ではなく、自分自身の責任です。

サニーサイドではIndependent learnerという理念を大切にしています。生徒たちに自分の足で立ってほしいという願いです。ですので、うちの教師たちは常に「手を出しすぎないようにする」ことを気にかけています。
日常の様々な問題を、生徒たちが自分自身で、または仲間と話し合って解決するように"あえて"しむけています。

当然教師が、こうせよ、ああせよと言えば、時間はかからないかも知れませんが、それでは「考える力」を育てることは出来ません。
子どもの思考力や論理は、時にいったん非合理な方向に行ったり、問題が余計に複雑になるようなことも良くありますが、それをじっと、時に小さなアドバイスを与えながらも、見守ることにしています。

生きる力とはなにか

最後に私の考えるひとつのアイデアをシェアさせてください。

これは私がニュージーランドの小学校を訪問した時、教室に貼ってあったポスターで、非常にインスピレーションを感じたものです。


I am not afraid of storms for I am learning how to sail my ship.
嵐など怖くはない、何故なら私はこの船をどう操ればいいかを学んでいるから

今回のような震災を含め、時代の急速な変化、グローバル化、子ども達がこの先の時代を生きることは、私たち大人がたどってきた人生以上に、とても複雑かつ難しいものになります。

学校に行けることと、「自分の足で立てるようになること」は別物です。我が子を信じる気持ちを忘れずに、親自身が覚悟をもつことが大切だと思います。


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