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表現者として生きる

臆病者

俳句との出会いは去年の夏。
京都市立芸術センターでの「 mimacul(ミマカル)ー「文体」を歩く半年間のワークショップー」という、ダンサーで文筆家の増田美佳さんのWS(ワークショップ)に参加したのがきっかけだ。

これまで、本が好きで書店員や編集者として仕事をしていたこともあった。編集者をやってみて、私はサポート役ではなくて自分が書きたい、表に出たい人だと分かり、辞めた。だけど、夫の転勤や出産が重なり、自分で表現することはずっとしてこなかった。そう、言い訳。

結局、自分は表現したい人、しなくては生きていけない人だと心の底ではずっと前から知っていたのに、怖くて怖くて、やらずにきていたのだ。本当にやりたいことで、人から酷評されたり認められなかったりするのが、そしてそれよりももっと、自分が諦めたり飽きてしまうのが、とても怖かったのだ。

自分でかけた呪いからの解放

それに、かつて母親がある程度名も顔も知れたノンフィクション関係の作家でもあったので、幼い頃から自分やその周りのことを題材にされることへの嫌悪感もあった。作家として原稿に向き合う母の背中を、寂しく眺めていた子どもながらの恨めしさもあっただろう。詳細は省くが、身内の名前や顔が世間に知られることによる煩わしさが一番嫌だったかもしれない。両親の離婚の一因に、母が突出して有名になってしまったことも関係していると思っていた。
完全に若気の至りだけれど、表現者や有名人になることは、大切な人を傷つけ、私生活を犠牲にしてまで身を切り売りする卑しい職業だと心に刻んでしまったのだ。

そうした歪んだ作家観や有名になることへの抵抗感を異様に強く育ててしまったせいで、自分で自分の首を締めていたことに気がついたのはつい最近だ。

この10年ほどかけておもに家族に由来する自分の心の問題に取り組み、続けざまの出産、授乳生活をある程度乗り越えて、心身ともに整ってきたのが去年。そしてやはり表現することが自分の中でとても大切な部分を占めていると思い出した。(そのあたりはアメブロ「リトリートの記録」に詳しい。テンションが異様でお恥ずかしいけどライブ感はある…)

表現者たちとの出会い

そのすぐ後に見つけたのが冒頭のWSだった。体についての探求や踊ることも好きな私が、文体と身体を通して自分らしい表現を見つけるのにこれほどぴったりのものがあるか、と勢い込んで応募した。

これまで作品をきちんと書いたこともなければ、人様に見せるなんて肥大した自意識が許さなくてできなかったのだけど、ゼミのような少人数の場で互いの作品を見せあい、批評したり刺激をもらうという機会に、ワクワクしていた。

参加者は20~60代くらいの男女様々な職業で、みな一様に「文章で表現する」ことへの思いを持った人たちであり、講師の美佳さんを始め、ダンサーや脚本家、役者としてすでに表現をして生きている人たちが多かった。みな作品を作り、見せることが当たり前の雰囲気だったことが、私の「恥ずかしい」という抵抗感を軽く飛び越えさせてくれた。

昔から美大生に憧れていたのだけど、こういう風に自分の表現や感性を堂々と表に出して、みんなで鑑賞したり意見をぶつけたり認め合う空気を欲していたのだと腑に落ちた(なぜもっと早くそっちへ行かなかった…とつくづく思うのだけど、抵抗が当たり前になってると気づかないものですよね…)。

そして、その二回目のWSで俳句と出会ったのであった。つづく。

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