拝啓、私へ。
「大丈夫」じゃなくてもいいんですよ
元気でいなくてもいいんですよ。
「大丈夫」でいなくても、いいんですよ。
他の人に元気でいるように見せようとしたり、はたまた自分にそう思わせようとしたり、
「まだまだ出来るはずなのに、私はどうしてここまでしかやれないの?」って自分を責めたり。
私は、ついそうしてしまうタイプの人間です。
自分への叱責の声が一番大きい。
誰かに責められたら「やっぱり私が悪いんだ」と思ってしまうし、
誰かに責められなくても「それでも私が悪いんだ」と思ってしまう(笑)。
でも、いいんですよ。
つい自分を責めてしまうのもそれはそれでしょうがないし、
かといって元気じゃないものは元気じゃないんだから仕方がない。
「大丈夫じゃない」ものは「大丈夫じゃない」んだから仕方がない。
仕方がないじゃないですか。ねえ。
他の誰の基準でもなく、私自身の基準で「大丈夫」じゃないのです。
私の身体も心も、「大丈夫」じゃなくなっている。
もうとっくに、コップの水は表面張力を超えて溢れ出しているのです。
自分が、それでもとめどなく水を注ぎ続けてしまうタイプの人間だということはわかっているけれど(笑)、
それでも「大丈夫」のラインを超えてしまっている事実も変わりないのです。
*
流れに身を任せて
私の人生は「流れ」であると、改めて思うことが多くなりました。
自分の人生が自分の望んだ通りになるというのは思い違いだということ。
自分の心や身体でさえ、望むようには動いてくれないのが現実でした。
これからどうなるんだろう?
どうやって社会で生きていくんだろう?
そんな不安も多くあります。
それでも、「私は流されるところにしか辿り着けない」というのが真理であるように思うのです。
この世には自分の思い通りにならないことの方が多いのだから。
自分さえ頑張れば、自分さえ無理をすれば、いい方に人生が傾いていくはず。
そう信じていた頃もあったけれど、今はその限界をまざまざと感じています。
私は、何かを変える力がある人間ではない。
何かを成し遂げたわけでもない。
何が出来るわけでもない。
出来ないことの方が多い。
それでも、ありのままでいたいです。
ありのままで、私の心が動くところに流されていきたい。
流されていったところが心地良ければ、そこにずっといられるように居場所を整えてあげたい。私自身のために。
もしその場所を離れるときが来たら、そのときもまた流れに身を任せて次の場所まで浮遊していたい。
そう思うようになりました。
*
そばにいて支えてくれてありがとう
前まで出来ていたことが出来なくなって、周りにいてくれる人のありがたさを実感しました。
周囲の助けがあるから、私はご飯が食べれるし帰れる場所があるし趣味のことだって出来るし心平穏に過ごせている。
今まで人生で成し遂げてきたことの一つ一つも、
私自身の手で掴んだ成功のように見えていても、
実際は環境と周囲の助けあってこそです。
助けてもらっていなければ、何も成し遂げることは出来なかった。
そのことを思うたび、恵まれていることへの感謝と、いつかこのご恩を家族や支えてくれた人たちに、そしてひいては社会に返していきたいなという思いが生まれます。
そのためにも、まずは自分自身が心から「大丈夫」だと思えるように。
ゆっくり休んで、この潮流の行先を見極めて、流れに身を任せていきましょう、私。
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