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152/* 「欲の断捨離」行

今突然ランプの魔人でも現れて、「何不自由ない暮らしを叶えましょう」と言われたら、あなたは何を望みますか?

あるいはあなたにとって、何不自由ない暮らしとは、どんな暮らしを想起しますか?

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便利さが加速するにつれ、何不自由ないのハードルも勢いをもって高くなっていきます。冒頭の質問は、現代という時代においても個人の嗜好によって多種の返答が得られそうな気がします。当然それは、時代や国をまたいでしまえば、いわずもがなでしょう。

僕は東京に生まれ、東京で育ち、今もなお東京で生活をしています。現代の東京人の暮らしは、最低限をみたすにもハードルが高くて、何不自由ない暮らしを実現するためには、それこそランプの魔人でも出てきてくれないと届かないような気さえしてきます。

そもそも、「何不自由ない」という概念は、その場所・時代に於ける「最低限」と比較して生み出されるような気がしていて、絶対的な価値基準ではなさそうです。たとえば僕個人が抱く、何不自由ない暮らし像も、しばらく別の国や地域に身をおいてしまえば、いかようにも変容してくれます。

そもそも、「何不自由ない」ってどういうことかというと、欲しいものが手に入る状態であり、不便をしないということであり、かつ幸せであるということだと認識しております。

そんな中で、自分の中での「最低限」と「何不自由ない」の間の隔離が激しい場合、あるいは、自身の現状の立ち位置から「何不自由ない」地点までの距離があまりに遠い場合は、ちょっと自分の生活を鑑みるきっかけを作ってみても良いかもしれません。

「何不自由ない」地点までの距離があまりに遠いということは、満たされた状態と現在とを比較して、自らが満たされていないと不満を抱いているということです。あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、というように、大きな括りでの所有欲が著しく満たされていない状態です。

でも、そこでちょっと立ち止まってみて、それが本当に欲しいものなのか?必要なものなのか?ということを考えて、欲の断捨離をしてみると、案外近いところまで「何不自由ない暮らし」が降りてくるんじゃないかと思います。

ということで、僕は今ブリュッセルにおりまして、今回の旅の目的は「欲の断捨離」ということでやっていきたいと思います。

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