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72/* 生きること、働くこと

今日は友人がやっている花屋さん、ネコカヴリーノに行ってきた。随分と歳の離れた、とかいうと怒られてしまうかもだけど、僕からすると随分と人生の先輩だけれども、僕の大切な友人だ。

お花、はなかなか機会がないと触れ合うことがない。家では観葉植物を育てているけれども、お花はまた少し違う。僕もこの友人がいなければ今よりもっと花とは縁の遠い生活を送っていたろうな。それでも花は、美しい。花がとても活き活きしていて、美しかった。

花が活き活きとしている理由は、店主を見るとなんとなくわかる気がした。何よりも店主がとても活き活きと花と向き合っているんだから。羨ましかったし、少し悔しかった。僕も仕事は好きだ、けれど、こんなに楽しそうに仕事と向き合えているだろうか、と自分と比べてしまったからだ。当然仕事は楽しいことばかりではない、それを理解した上で、そんな店主の姿を見られただけでも、来てよかったなと心から思った。

就活やらを始めるとよく、好きなことを仕事にするのは大変だぞ、とか言う人がいる。もちろんそんなことは分かりきっているんだけど、そもそも仕事はどんなことでもしんどいでしょう。好きなことで食っていくのもしんどいし、お金のためと割り切ってやりたくもないことをやり続けるのだってしんどい。いづれにしたって、お金を稼ぐということに苦労はつきものだ。

だからこそ、同じ苦労を味わうのなら、好きなことを突き通したい。生きることと働くこと、は表裏一体なのだ。この前、『生きるように働く』(ミシマ社)という本の著者であるナカムラケンタさんにお会いしてきた。ぼくはこの本のタイトルがとても好きで、それを体現しているナカムラさんもまた、独特な雰囲気を纏った人だった。

そもそも昔は、生きるも仕事もなかったはずだ。筋力に恵まれた男が狩りに出て、子ども授かることができる女が家庭を築いて。その中でも器用な人間は武器を作り、道具を発明し、手に職をつけていった。まさに生きることはすなわち働くことで、生きると働くは密接に繋がりあっていた。けれど時代を追うにつれて、生きると働くは少しずつ遠ざかって行って、働くことによって死ぬ者がでたり、生きながら働くことを諦めてしまう者もいる。

なんでそんなことが起きてしまうんだろうかね。この時代において、「生きるように働く」ことは、決して簡単なことではないのかもしれない。でも、なんとかそこに近づいて生きたいよな、と今日友人とあって考えていた。生きるも働くも、綺麗事ではできない。苦しみも喜びも、「生きること」により近いところで実感できるならば、もっと前向きに乗り越えられるんじゃないだろうか。

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