3/* あなたはどっちへ進む?
道を歩いていて、歩道の真ん中に電柱があったら、あなたはA、Bどちらに進みますか?
今日はそんな些細なことから、考えた日記。
無意識をひとつずつ減らしていく
noteを更新するようになって、ネタが切れると困るから常になにかしらを探しながら、考えながら生活している時間が圧倒的に多くなった。
今日の話もその中のひとつで、ふとあるときに、自分がほぼ毎日道の広いBの選択肢ではなく、少し通りづらいAの選択肢を取ることが多いことが気付いた。
わざわざ狭い道を通ろうとする僕の心理はよくわからないが、それからは意図的にBの選択肢をとってみたり、この電柱に出会わないように道路の向こう側の歩道を歩いてみたり、
なんとなく、という選択を一つずつ減らしてみようと行動を変えてみた。
例えば今日は、
雨が降っていて傘をさしているから、Aを通るには狭すぎるな、じゃあBを通ろう、とか。
無意識を一つずつ減らしていくことで、自分の選択や行動を言語化して整理することができるようになって来た。
理由のないものはない
電柱の左側を通ろうが、右側を通ろうが、人の勝手だろうと思うかも知れない。それはもちろんそうなんだけど、今日僕が言いたいのは、結果ではなく過程の話。
普段なんとなく生活をしていると、「これなんかいいね」とか、「なんとなくきにくわない」とか、言語化しづらい感情を抱くことがたくさんある。
なにかにひっかかるというのは大切な感情だなと思っていて、大事にしているんだけど、それ以上に、「なんとなく」を深掘りすることが大切だなと、最近特に痛感するようになった。
多くの人々のこころにひっかかりを残して「なんかいいな」と思わせる成果物はぜったいに、なんとなくな気持ちで作られてはいなくて、
デザインでいうと1ピクセルとか、映像でいうと1フレームとか、もっと僕のしらない小さな小さな世界で論理的に完成を突き詰めていく作業が行われているんだと思う。
だから自分も、なんとなく、ではなく、確たる自信とか意図をもって、選択してゆける人間になりたいなと考えた。
電柱の右を通ろうが左を通ろうが、行き着く先は一緒だけど、そこで一瞬立ち止まって意図的な選択をできるということが大切であって、
すこしずつ、無意識を減らしていくことで、僕も表現者としてもっと成長していけるんじゃないかなと実感をしました。
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