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153/* 最低限で、最高級の幸せを

昨日「欲の断捨離」という日記を書いて、思い出した。
そういえば昔(といっても5年くらい前)、取り憑かれたように断捨離を決行したことがあった。それはいわば、世間的なそれとおんなじで、物理的にモノを捨てまくろうぜ、というやつだ。

もともと僕はそんなにモノを溜め込むほうではないにも関わらず、なぜ断捨離を決行したきっかけは他愛のない、当時とても気に入っていた財布を無くした、という一大事件があったからだった。モノのなくすのは、モノを持ちすぎているからだ、と解釈した僕は、財布を無くした翌日には断捨離を決行して、部屋の中をすっからかんにした。

両親はひどく驚いたろうが、服も小物も迷うものはすべてゴミ袋にぶっこんだから、ほとんど大切なものの精査もすることなく、多くの思い出が葬り去られた。とはいえ今に至るまで、その時捨てたことを後悔したものは一個足りともなくて、ないならないなりに、生きていけるもんなのだ。

そして当時の僕の断捨離は、モノだけに止まらず、精神も諌めてやろうというところまで及んでいた。今思えば、狂気的だなと思うけれど、それを大真面目にやっていたんだから面白い。

早朝夜も開ける前に高尾山に登って御護摩修行をしてみたり、自転車で四国のお遍路を回っていたのも、その時期だった気がする。とにかく、色々やってみないと気が済まなかったんだろう。

しかし、そんな修行期間を経て何か悟ったかといえばそんなことはなくて、少し経てば普通の暮らしに慣れてしまって、それまで以前のように、欲に従順に便利な生活を求めてしまうのであった。

僕は悟りを求められたお坊さんでもなんでもないので、いくら大層なことを言っても、いづれは俗世的な概念に戻ってしまう日が来る。

自分が思う最低限のラインで、心から幸せだと実感しながら生き続けるということは本当に難しい。最低限で、最高級の幸せを実感できるのであれば、それほど幸福なことはない。

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