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夜でも空が青い国

藪から棒だが、我が家はベランダがとにかく広い。部屋と同じぐらいあるんじゃないかと未だに疑ってしまうほど、広い。ちなみに部屋はそこまで広くない。広いベランダは好奇心をくすぐるというか、なんというか。人工芝を引いてみたり、プランターを置いてみたり、折りたたみの卓球台を置いてみたり。暖かくなってくると、ポテンシャルをより発揮するというようなもので、ちょっと息抜きにベランダに出ることが最近増えてきた。

これでも我が家の周りは落ち着いている方だと思うが、やっぱり東京の夜は明るいなー、と夜空を見上げるたびに思う。暗い夜道と言ったって電灯がないことの方が珍しいから、「本当の暗闇」を知らないまま生きている人は多いだろう。

パッと思いつくもので何回か、「本当の暗闇」と対峙したことがあった。一番昔に遡れるのは、長野県は善光寺のお戒壇めぐりだ。(僕の記憶では)お戒壇めぐりというのは、一切の光を閉ざされた地下の空間を巡って、錠前を手探りで探し当てて戻ってくるというものだった。そのとき初めて、いくら目をかっぴらいても暗闇しか見えないという体験をした。幼少期の僕はひどく怖がりだったが、善光寺のお戒壇めぐりに限っては、なぜか怖いとは思わなかった。

もう一つは、学生時代バイトしていたキャンプ場での夜のこと。宿泊客がいなくなり、駐在員も皆家に帰り、僕1人ただっ広いキャンプ場に一晩取り残されたことがあった。人気もなくただシンと暗闇が続くキャンプ場は、少し怖かった。お戒壇めぐりのように何もみえないということはない。目が慣れれば、ある程度の影を捉えることができるようになって、それがなおさら妄想を助長してしまう。怖さを振り払おうとして、広場のど真ん中に腰を据え、ギターを目一杯かき鳴らして大声でしばらく歌ってみた。音というのは聴くものがあって成立するのであって、誰もいない場所では目一杯の弾き語りもあっけなく暗闇に飲み込まれてしまった。

あと一つ印象的なのは、東日本大震災直後の出来事だった。支援にも行けず、当時真っ盛りだった部活も活動が休止してしまい、とにかくいてもたってもいられなくなった僕はランニングシューズを履いて衝動的に家を飛び出した。各所で自粛ムードが漂う真っ只中。とにかく走ることしか思いつかったんだろう。当時住んでいた立川市から、気づけば新宿の少し手前まできていた。後から調べてわかったのだが、立川新宿間は片道で30km程度。帰りももちろん走って帰ったので、60kmぐらい走り続けていたらしい。

とにかくその当時の僕は距離のことなんてさっぱり知らなかったので、「あ、もう新宿か。」と知っている地名を見つけたのでなんとなく引き返しただけだった。とはいえ時間は刻一刻と暮れてゆき、家まであと十数キロと言ったところですっかり日が暮れてしまった。夜が来てしまったことよりも空腹に気を取られていると、突如街全体が僕の知らない暗闇に包まれた。計画停電だ。なんと僕は、ちょうど計画停電の起こる時間帯に1人ポツンと街に取り残されていて、明かりのない十数キロの道のりを探り探り走ることとなった。

総距離50kmにさしかかり、流石に足にも痛みが走りつつある中での暗闇はメンタルに響いた。帰れないかもしれない、とすら考えた。でも、あと少しをもう少し積み上げてゆけば、確かに家に帰れると信じれるところまで来ていた。かれこれ1時間ぐらいはかかったろうか。時々現れる非常灯だけを頼りに進み続けると、ようやく家の目前までたどり着いた。

ふーっと安心とも疲労ともとれるようなため息をついて空を見上げると、僕が未だ見たこともない輝きを持って月が浮かんでいた。月の光で浮かび上がった影が、うっすらと街の暗闇に落ちている。街が明るくなったから月は明るさを失って、街が暗闇に戻ると、月も本来の明るさを取り戻すのだ。僕が初めて月の明るさを知り、「本当の暗闇」を体感した瞬間だった。

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