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95/* 「変化」を理解する

そういえば、もう冬だ。気付いた頃には、寝間着がTシャツでは朝が辛くなって、外出は上着が欠かせなくなって、マフラー忘れたと家に取りにかえる季節になってしまった。いつでも季節には後追いで、僕が追いつこうと足掻いているうちに、冬は堂々と鎮座している。でも実際は、季節が唐突にやってくることはなくて、毎年なんとなくおんなじような周期でぐるぐると回っている。

物事の変化は何事も大抵同じような気がしている。「変化」はサイヤ人がスーパーサイヤ人になるような、劇的で爆発的な点の時間だと思われがちだが、実際はもっとなだらかなグラデーションを描く。朝と夜には対照的な格差があるけれど、実際はその間にいくつものレイヤーが隠されているのとおんなじだ。朝と夜が点ではなくて線でつながっているように、あらゆる「変化」は線でつながっている。

人間は変化にあまり得意でない。とくに、「変化」という現象をことごとく除外された無機質な都会空間では、変化に疎くなってしまう。小さな変化の兆候を捉えられなくなってしまうから、気付いた時にはもう冬か!みたいな感じで、あたかも突然それが訪れたかのように思ってしまうのだ。

変化を線で捉えられない人は、変化に対して臆病だったり否定的だったりする。そういう人に対しては、線として流れてきた文脈を川の源泉を辿るようにして一からきっちりと話さなければいけない。しかしここで厄介なのが、轟々とながれる大河川も一滴の雫を源泉にするように、大きな変化も元を辿れば対した発端ではなかったりすることがあるのだ。いざ説明をしようとしても、本人ですらうまく源流をたどれなかったり、そんな些細なことで、と一蹴されてしまうことだってある。

万物は流転する。物事は一瞬たりともおんなじ瞬間はなくて、常に変化し続けているということを心に留めておくだけで、案外スルッと変化を受け入れられるようになったりするものです。

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