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水平線の彼方/whether or notという話

正解なんて何処にもなく、有るはずもなく。
あるのは現実それひとつ。真実ただひとつ。

大分昔の夢を見た。
それはもう20年近く前にもなる。中学に上がると同時に一念発起して剣道部に入ったあの頃の……言うなれば、記憶の再上映みたいな内容だった。

未経験での入部だった私は、ひとまず"さぶなな"*1の竹刀と袴だけを購入して、最初のうちは基礎稽古に打ち込んでいた。なにせ、いきなり必要な道具一式を全て揃えるとなるとそれ相応の費用がかかってしまう。そういう意味では実に経済的かつ合理的な"仮入部制度"だと思う。
ちなみに防具も揃える必要が出てきた際には、家計が逼迫していた事を理由に格技室の物置に眠っていたOBの遺産を拝借した。完全に余談である。

しかしその後、程なくして転校することになる。詳しい経緯などを書くと話が大きく脱線するので今回は省略するが、とりあえず転校先の中学には剣道部が無かった。厳密には、その地区の剣友会が部活動の代わりを果たしていたのだ。仕方がないと思いつつも入会するが、自分の中で徐々に違和感が生まれ始めた。
その正体は実に簡単だった。私が惹かれたのは剣術そのものを極めることではなくて、同年代でひたむきに素振りに精を出すあの部活動の日常だったのだ。同じ初心者でも年の離れた人ならば体格にも差が生じるし、そもそも取っつきにくいし、師範役の警察/自衛官OBな御仁とやらも、まぁ(省略)。
私はそこで初めて、自分自身の意思や興味だけでは物事を突き詰めるに至らず、どうしても周囲の環境に影響を受けてしまうということを実感した。
故に、転校してからものの数ヶ月で私は剣道そのものを辞めてしまった。せっかく手に馴染んできた竹刀も、次の日には布団叩きの代用品へと成り下がった。

ところで、その当時お世話になっていた先輩の中でも、唯一フルネームを覚えている人がいた。唯一といっても厳密には双子の姉妹で、名前をあいさん・うたさん(どちらも仮名)という。
剣道を辞めてしまってから全く連絡を取っていなかったのだが、数年前(東京で仕事をしていた頃)にも、当時の記憶の再上映みたいな夢を見たことがあった。詳しい内容まではさすがにもう覚えていないけれど、それでも頭の片隅に何かひっかかりを感じた私は、その日のうちにSNSなどネット上で彼女らの痕跡を探した。

結論としては、うたさんのみ見つかった。
というのも、実名で役者として活動していたからだ。しかも大学を卒業して社会人になってからも続けていて、特定の劇団には所属せずにフリーで(?)活動を続けていたようだ。ついでにローカル番組の出演実績も見つけた。
SNS上で友達申請を送る際に個別でメッセージを送ったら、嬉しいことに向こうも私の事を覚えていてくれた。それ以降、時折更新される彼女の近況をチェックしながら、今度地元に帰省する際には彼女の公演にタイミングを合わせてもいいかもしれない……なんて考えていた。
もっとも、達成することは叶わなかった。

ある日、彼女のSNSが数ヶ月ぶりに更新されていることに気が付いた。一番新しいその投稿には、『来たるべき時に帰還を果たす』とだけ書かれていた。
私はとっさに理解した。これは彼女にとって誓いの言葉で、人生の再出発を意味しているのだと。
そうして、再会を果たすよりも先に、彼女は今いる場所から旅立ってしまった。そしてそのまま、またいつか再会できる時が来るだろうかと待ち望んでから、気がつけばもう5年の月日が過ぎていた。

過ぎた月日に驚きつつも、私は私自身の人生における分岐点について考えてみた。例えば、もし転校せずにそのまま過ごしていたら、私の人生はどう変わっていただろうかと。
当然ながら剣道は続けていたはずだ。実力次第では、高校に進学してからも継続し、いずれは段位まで取得していたかもしれない。
あとは進級前に転校してしまったせいで、本来ならクラス替えなどを機に出会うはずだった人が、どれだけいただろうか……などなど。考え始めればキリがない。
そして何より、今ある自分の記憶や経験とは異なる挫折や苦難の先に、全く新しい将来が開けていたに違いない。住む場所や仕事はもちろんのこと、場合によっては結婚していたり、子どもがいたり、家や車を購入していたりしていたかもしれない。

少しだけ寄り道をするが、過去に個別記事を投稿したほど私にとって人生のバイブルにも等しい「タクティクスオウガ」を例に挙げたい。本編中、主人公が決断した選択肢によって、その後の展開は大きく異なってくるからだ。時に特定の人物と志を共にしたり、あるいは決裂したり、場合によってはそもそも出会う事すらなかったりする。具体的には、Cルートのみ誤解が解けるアロセール(しかもNルートに方針転換すると離脱)と、再会が叶うシスティーナに姉のセリエ。一方Lルートでは紆余曲折を経て和解に至るヴァイス、ジュヌーン及びオクシーヌとの思わぬ出会いが待っている。
皆それぞれ自分の生き方があって、思い描く理想や信念、守りたいものがあって、それがあるきっかけで交差して……。

さてさて、ゲームの話はこの辺にしておいて。
今回私がしたかったのは、「人は必要な時に必要な人に出会う」という話なのだ。きっかけは昔ハノイにいた人の好きな言葉で、彼女もまたそれを記事にしている。もちろん、私にとっても印象深い言葉だ。

上記に限らず、私は他の分岐点も併せて考えてみる。
例えばもし、大学入学後に転学科せず、義肢装具学科に残っていたら。
果たして義肢装具士の国家試験はパスできたのか。いずこかの義肢装具製作所に就職できたのか、その後もいっぱしの技師として働き続けていけたのか。ただでさえ珍しい職種の上、現場で通用せずに転職する人だって少なくない業界だ。
例えばもし、札幌市内での就職にこだわっていたら。
社会人8年目、何らかのタイミングでどこかへ転勤している可能性もゼロではないが、もしかしたら今なお札幌在住だったかもしれない。場合によっては実家住まいの可能性だって。
例えばもし、海外駐在の話を辞退していたら。
当時の配属先(というか出向先)だった案件は今なお対応しているのか、あるいはどこか別の案件に異動しているだろうか。ちなみに(実は密かに考えていた)その客先への転職は果たして可能だったのかどうか。ついでに、当時交際していた彼女とはどうなったのか。

それぞれ、私のその後の人生は果たしてどうなっていただろう?
出会うはずが無かった人との出会いはともかく、
離れるはずの無かった人とは続いたのだろうか。
私は私がこれまでに出会った『必要な人達』を、
これから先もずっと大事にしていきたいと思う。

運命の輪は私の都合で逆回転なんかしてくれないけれど、
それでも私の歩く速さに合わせ永遠に回り続けてくれる。

*1 三尺七寸(約140cm)のことを一般的にこう呼ぶ。

#雑記 #独り言 #海外生活 #ベトナム #ハノイ

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