【10月5日世界教師デーに思う】

みなさん、記憶に残っている先生はどんな先生でしょうか?

そして、「先生」という言葉にどういう修飾語がつくでしょうか。

優しい、怖い、厳しい、面白い、など。

みなさんにはどんな先生が多くいましたか?

先にあげた先生の修飾語以外に、もっとよくある修飾語があります。

「良い先生」「悪い先生」です。

実は、こっちの方がよく使っているなんてこともあるかもしれません笑

それにしても、「良い先生」「悪い先生」ってなんでしょうね?

私は自分のことをいい先生だと思ったことがありません。というのは、今のベストは次の瞬間にベストではなくなって、もっとこうしたいと思う気持ちが生まれるからです。

私はおそらく一般的には「悪い先生」です。なぜなら「教えないから」学生が主体的に学べるように、サポートすることに私は注力しています。

学生に聞いたことがあります。あなたにとって良い先生とはなんですか?

すると、

「説明をしっかりしてくれてわかりやすい」

とか

「質問に答えてくれる」

とあります。

確かに、先生の教えるスキルや丁寧な対応は生徒の身になると良い先生です。しかし、こういう先生って、大人になって記憶に残ってますか?

私が好きな先生は、このような教授法やその技術面で記憶には残っていません。(巡り合わなかったともいえます)それよりも、良い先生、悪い先生の違いは、その学生との人間関係で言われることが多いのではないか、思うのです。

私は世界有名大学で博士号をとった先生ではありません。有名大学で研究もやっている先生が、大学の基準では「良い先生」となるでしょう。その基準では私は「悪い先生」となります。

その自覚はありました。しかし、カンボジアのような発展途上国で、先生の待遇や研究環境も先進国に比べて整っていない環境に、どれくらいの「良い先生」がくるでしょうか。短期的にきたとしても、腰を据えて教えようという人がいたら、万が一の存在です。

肩書きは悪い私がどうしたら、「良い先生」になれるのか、その方法を今探っています。

「良い先生」とは、一つ私の中には答えがあります。

それは、30年以上先も記憶に残る先生です。

それは、私が小学校1、2年の時の担任の先生です。

私はその先生と時々対話しながら生きていました。

もし、ご存命であれば、もう一度その時の教育と、これからの教育についてお話ししてみたいと思っています。

生涯でたった2年しか教えてもらわなかったのですが、その先もずっと残っています。その先生は本当に生徒の個性をみていたと思います。私は今、その先生の生きた道を想像しながら、先生になりました。

時々私を否定するような先生もいましたが、きっと1、2年の時の担任の先生ならこう言うはずだと、考えたりもしました。

先生とはいえ、人間なので、完璧ではありませんし、間違いも起こします。そして、人間関係次第で、良くも悪くもなります。

私がやりたい授業。それは、「自分がなぜここにいるのか」という存在理由を感じられるような、そういう授業をしていきたいと思います。

以上、世界教師デーに思うこと。そして、明日からやりたいことです。

精進します。









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