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エンドロールじゃ纏まらない。


これは、

とある映画を観たわたしの気持ちの記録である。

エンドロールの数分じゃ纏まらなかった気持ちが
日にちを重ねてやっと言葉になった気がしているから
ここに残しておきたいと思う。


ネタバレを含まないよう、綴りたい。

この映画を観て感じたのは


誰かを愛する為に、特別な理由は要らないこと。
何事も、幸せであれば始まりはどうでもいいこと。
やっぱり類は友を呼ぶんじゃないかということ。
五体満足で生きられるのは当たり前じゃないこと。
無償の愛を受け取り合える関係は生きがいとなること。

そして、やはり幸せの形は人それぞれだということ。

こういった、たまらなく温かい感情だった。
この先生きていく上で心に留めておきたいことばかり。

人にはそれぞれ幸せのカタチが存在していて、

親がシングルだから、幸せじゃないだとか
実の家族じゃないから愛がないだとか
そんなことはきっとなくて。

始まりはそんなはずじゃなかった、な人生でも
それを受け入れてしまえば、ふと気付いたときには
もう何にも変え難いものを手にしていたりだとか。

見た目や雰囲気はどうであっても
本質的なところは似ていて、
やはりどこかに惹かれ合う点があって
その点と点が繋がって、誰かと出会うことを
類は友を呼ぶと言うんじゃないかとか。

見た目が華やかに美しく見えるあの人にも
実は血も涙も滲む苦労や、
見えない努力があったりだとか。

大切な人が今日を生きて、
明日を生きてくれることを幸せに思う自分がいて、
わたしが今を生きているという事実にまた
同じように幸せだと、ほっとしてくれる誰かがいる
この上ない幸福のこと。

そんなことに思いを馳せた。

わたしは、少し離れた場所にいる自分の家族に
毎日何事もなく生きていて欲しいと願う。

どうか健やかな日々を送って欲しいと、心から願う。

ほんとはもっと会いたいけれど、
幼い頃から私に与え続けてくれた愛情たちは
何歳になっても、住む場所が変わっても、
わたしの中で思い出として規則正しく脈を打っている。

それらが脈打つおかげで、わたしは今日も生きている。

それが、私が今日を、明日を生きる理由だ。

この世は、
自分なりの幸せを感じて生きる人々で成っている。

誰もが羨む家族じゃなくても。
大金持ちじゃなくても。天才じゃなくても。
何回苗字が変わっても。

幸せだと感じて生きる私たち。
カタチはどうだっていい。

自分にとっての幸せと、
誰かにとっての幸せは違うということ
喜怒哀楽の向こう側にある本当に目を向けること
身近な人が生きていてくれること

どれもふと忘れちゃいそうだけど
とっても大切だと感じた。

そして、

生きてさえいれば、
泣いて笑って怒って悲しむこともできる。
会いに行けるし言葉を伝えられる。
見守ってあげることも、見守ってもらうことも。
たまには喧嘩もいいかもね、仲直りは必須だけど。


きっと生きてさえいれば

別になんだっていいんだと思う、本当は。

それに気付くのは、失ってからなのが世の常だとしても
当たり前じゃない当たり前をぎゅっと抱きしめて
日々めまぐるしく回る生活を優しく生きて
大切な人にはちゃんと言葉で伝えて、変な意地は張らない。

時々、不器用な生き方になっちゃうかもだけど
愛しあえる人たちがいてくれるこの世界で
ちゃんと、ちゃんと生きていきたいな、この先も。






____

うまく纏まってない気がするけれど。。

こんな気持ちを私に教えてくれた
映画「そしてバトンは渡された」。

まだ観られてない方で、少しでも
観てみたいなと思った方はぜひ。

ハンカチが必須で、メイク崩れも要注意です、。

たまらなく、素敵な映画でした。


ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。


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