私と家族との距離 | 2024/01/06
本人と、家族の距離や尺度は、その人それぞれに持っているものなのだろう。
私は18歳の頃、実の親と関わることを辞めようとした時、どうにも溢れてくる感情を言葉に落とし込むことができなかった。
当時、適切な言葉を見つけられずにいた私は、ただ「私たちはきっと、関わらないで生活をしたほうが、お互いが幸せなんじゃないかな」とだけ伝えて、その場を去った。
母親として、娘からそう突きつけられたら、受け入れ難いだろう。けれども良く、受け入れてくれたと思う。
あれから約10年経ったいま、やっと。やっと言葉で表現できる様になった。
たくさんの言葉に出逢わせてくれた文章、映画、音楽。たくさんのカルチャーから教えてもらえる。気づかせてもらえる。
私はきっと、親や家族を、愛していたから「離れる」という決断をしたのだと、いまならこう表現できる。やっと、こうやって表現できる様になった。
他者からしたら、この状況と私が表現している想いは、ちぐはぐしているのだと感じるだろう。でも私には、一本の道筋として見えていて、確信している。
私が、生物学上の母親に対し世間の母親としての役割を求めてしまうと、この人はきっと壊れてしまう。
私が時に、この家族のもとに帰ってくると、この人たちは本来の自分たちではなく「私の母」「私の兄」として自我を壊してしまうほど、頑張りすぎてしまうと、直感したのだ。
だから、愛しているから離れることを決断した。
ただ生きていていれば。どこかで、誰かと、ただ幸せで居てくれれば。私はそれだけで充分。
安心していて。
あなたの娘は、妹は、あなたたちにとって遠いところからでも、想いを馳せ、今日もここで生きています。
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