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推しが友人と○○した

突然ですが、「推し」はいますか?

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・そもそも「推し」とは
「推し」とは「イチ推しのメンバー」を意味する「推しメン」をさらに略した表現です。「アイドルグループの中で一番応援しているメンバー」を意味します。AKB48が台頭した際に一般的に広まった表現であり、現在ではアイドルだけではなくあらゆる人やモノに対して「同種の中で一番好き」という意味で使います。

この「推し」という単語が、当たり前のようになればなるほど、私は心が痛みます。これは、寒さで痛む古傷と同じ現象です。
 
昔、私にも「推し」がいました。
今回はその推しの話をしようと思います。

事件①「推し」との出会い

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私の推しは、メジャーではないバンドマンでした。彼と出会ったとき、私は19歳で、大学1年生の夏休みに「ライブ遠征」というものに初めて行きました。

ライブ中の物販にはバンドマン本人がいるようなライブハウスでした。音楽はわりと雑食だったので、目当てのバンド以外もCDがほしいなと思い、物販にいたバンドの方に声をかけたのですが、スマホをいじっていて気付いていただけず、正直ちょっと困ってました。

そしたら「呼ばれてますよ」と隣のバンドの物販の人が、私に気付かなかった人に声をかけてくれ、私は無事にCDを買うことができました。

ライブ終わりに、助けてくれた方とすれ違ったので「先ほどはありがとうございました」と声をかけました。その方は片手をあげて、爽やかに立ち去りました。

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一瞬で、惚れました

もともとそのメンバーは名前は知っていましたが、特に好きということはなかったです。私は別に音楽に詳しいわけでもなく、私の音楽歴は中学生のリコーダーが最後です。彼はドラムで技術的に何かこうぐっとくるものがあったわけではなかったです。ただ、人間性にやられました。

そこからは落ちるのは簡単で、彼のいくところはどこにでも行くようになりました。いつからか、彼の楽器の音なら聞き分けられるようになりました。リハから全集中してました。

東京はもちろん、関東圏、甲信越、北は岩手、西は福岡その他もろもろ。大学生という身分を利用し、授業をさぼって通いまくりました。おかげ様で、危うく卒業できなくなるところでした。当時テストを助けてくれた友人一同には頭があがりません。。

1年後には私の「推し」はバンドを脱退し、ソロで活動を始めたのですが、サポートという名目でだいたい月1,2回ほどライブがあり、そちらも通いまくりました。

会えば会うたびにどんどん好きになりました。

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\まさに底なし沼/

正直、エピソードがありすぎて、特に渋谷のライブハウスはどこもかしこも思い出がいっぱいです。1枚500円のチェキでチェキ帳もいっぱいです。

当時の私にとっては、推しは命でした。

彼のためならなんでもできると思いました。なので「BMWほしいな」と言われたときには「買わなければ!!!」という謎の使命感にかられました。

BMWを買って、推しに貢ぐ。これが私の人生の目標になってしまいました。

事件②就活の軸が「BMWを買えるようになる」

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「どうやったら、BMWを買える女になるか」

大学生だった私は、愚かにも就活の軸をここにおきました。ただ、車には詳しくなかったので、とりあえず1000万円稼げれば買えるだろうと思い、そこに軸を置きました。もちろん、このことを面接官に話すわけにはいかないので、そのあたりはうまいことごまかしながら、とにかく稼げる会社に入社したいという一心だけで、就活をし、見事該当企業から内定をいただきました。

ちょうど大学4年生の5月のことです。社会人になって、とにかく早く稼げる人間になるために、6月からインターンも始めました。

7月、推しが結成したバンドの1周年記念ライブがあり、もちろん行きました。整理番号は1番でした。翌日、ツイキャスの配信で私の推しが「結婚してましたー」ということを発表しました。

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「おめでとうございます」とリプを送るものの、普通に泣きました。笑

とはいえ、結婚しても私の「推し」なのは変わりませんでしたので、「来世期待します!」とだけ伝え、とにかくそれでも推しの喜ぶ顔が見たいと頑張ることにしました。

とはいえ、卒業の単位も危うく、インターンに比重を置いたため、少なからずライブに行く頻度は減りました。それでも推しは「今まで頑張りすぎてたから、いいんだよ」と仰せ。はい、好き。

そんなこんなで、通い続けました。あの日までは

事件③神は死んだ

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さて、話は変わりますが、私には同じバンドで別のメンバーを推しとする友達がいました。

年齢は1個下のとてもかわいい子で、性格は少なからず難がありましたが、一緒に遠征したり、プライベートでも一緒に遊んだり、普段からいろんな連絡を取り合ったりなどしていた、私はとても大好きな友達でした。

ただ、その子は悪癖があり、どうにも「人のものがほしくなる」「人気のあるものがすき」という性質を持っておりました。

ほかのファン仲間の推しを寝取ったり、それをまるで自慢話のように話したり。そのためたぬきで叩かれたり。正直言うと、あまり興味はありませんでした。へえ、そうなんだと聞くだけでした。だからこそ、罰が当たったのだと思います。

ある時、その子は「不倫をしている」と言いました。さすがに法を犯すのはよくないと「別の相手のいない人を探そう」と伝え、相席屋などにも一緒に行きました。そこでもなぜか、既婚者をひっかけました。なんてこった。ただ、やはり恋愛脳になっていると、なかなか忠告は聞いてもらえないもので。彼女はもはや不倫というスリルを楽しんでいるようでした。

そんなある時、彼女のSNSのいわゆる「鍵垢」に、意味深な投稿がされました。

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嫌な予感がしました。彼女の「そういう関係」を私はある程度聞いていました。「」のものから「次の候補」まで。彼女の周りに、既婚者のバンドマンは私の推ししかいなかったのです。

当時、彼女とは頻繁に電話もしていました。そして案の定というか「あなたに隠していることがある」とも言いました。もうゲロっとるやんけと思いましたが、もしかしたら不倫がばれて300万請求されてるのとかの報告かもしれないという一縷の望みを思ってました。

もちろん、そんなことはなく。彼女は私の推しとベッドインして、かつLINEの連絡先も入手しており、次の約束までつけていました。

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彼女は罪の意識に耐え切れず、私にすべてを話しました。私の推しは噛み癖があるという性癖から嫁との関係、推しが私のことを「嫁の次に大事な女の子だから絶対に手を出さない」と言っていたことや、その他もろもろをどんどんしゃべりました。それはもうべらべらとしゃべりました。電話を切るまでは、泣きませんでした。

私は他人なので怒る権利すらないんだなという事実と、結婚は耐えられましたが法を犯したという事実は耐えられず、他界することを決めました。2018年11月19日、私と、そして私の神は死にました。

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※そのまま、友人とも縁を切りました。

余談ですが、友人は自分の推しともベッドインしたと人づてに聞きました。今どうしているかの人生遍歴はわかりませんが、一時期お水のお仕事もされていたようです。今は何しているのか知りません。

他界とは…オタクを辞めること。特定のグループの現場から去る際にも使用する。


事件④残った事実

推しから他界して、私はしばらくライブハウスに行けなくなりました。渋谷、新宿、下北沢。どこも推しとの思い出でいっぱいで、近くにいくだけで涙が出ました。行動範囲がぐっと縮まりました。

そしてもう1点、私にはある問題がありました。それは「推しにBMWを貢ぐために稼げる会社に入る」という目標のもと、稼げる会社に内定をもらっていたということです。

入社する4月より前に、私は稼ぐための目的を失ってしまいました。残ったのは、ただ、わりとハードな会社というだけです。

しかし、他界したのは大学4年生の11月。正直再度就活するには時期があまりにも遅すぎました。

結果からいうと、その内定をもらった会社に入社しました。ハードワークでしたが、仕事はとても好きだったのでつらいながらも楽しく働いていたと思います。いつかできる「推し」にいくらでも課金できるように、がんばろうという考え方でがんばりました。 

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次なる推しを探しに、バンドマンやホスト、もしかして同じ次元にいないのかもしれないという考えでアニメなども見ました。が、神が死んで2年半たちますが推しに出会えませんでした。

なので今日も私の「未来の推し課金預金」がちょっとずつたまってます。

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まとめ

今回の件で私が学んだことは3つです。

1)就活は他人を軸にしちゃいかん

2)働くモチベーションも他人にしちゃいかん

3)法を犯されたらさすがに推せない

正直、今まで生きてきてこの件以上の衝撃はありません。「推し」の幸せは自分の幸せだ。というのは、間違いなく自分自身に言い聞かせる言葉です。近すぎても遠すぎても、「推し」とは毒にも薬にもなります。やはりお薬は用法・用量を守って正しく使用しないといけないと強く思いました。

「推し」の過剰摂取と、不倫する友達には気を付ける。これ、教科書にないけど絶対覚えておいたほうがいいと思います。出番がないことを、強く祈りますが。

以上、推しのために稼げる会社の内定もらったが、推しが友人と不倫して、他界した話でした。

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