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木村俊介『物語論』で綴られた言葉に触発され、伊坂幸太郎『重力ピエロ』のページを再び繰る

作家が何を考えて物語を生み出しているか、その一端に触れるのは読者の楽しみのひとつです。自分の仕事について作家が語る内容は、その世界を知らない人間からすれば、それだけでも充分に魅力的です。しかし、新刊を紹介するインタビュー記事は宣伝の色が強いものです。作品を届けるために必要な工程だということは理解できますが、果たして肉声と呼べるのか、作家の奥底に秘められたものを引き出しているのか。

そうした文章からは距離をおいた、物語を生み出すプロセス、物語が生まれる機構にフォーカスしたインタビューを提供するのが、フリーのインタビュアーである木村俊介です。書店で働く人々の話をまとめた『善き書店員』や、漫画の編集者に取材した『漫画編集者』では、話題の並べ方や言葉の選び方に表われる彼のセンスに感銘を受けました。

木村さんが著した『物語論』は村上春樹、島田雅彦、荒木飛呂彦、杉本博司など17人の作家に会い、その言葉をまとめたインタビュー集です。なかでも印象深かったのは伊坂幸太郎です。インタビューは五時間に渡り、本書で最も多くのページを費やして言葉を書き留めています。ターニング・ポイントとなった『ゴールデンスランバー』や『モダンタイムス』などの文章も引用され、物語を生み出すプロセスが浮かび上がります。

伊坂さんは「物語の風呂敷は、畳むプロセスがいちばんつまらない」と語り、風呂敷を畳まないからこそ楽しめる物語について語ります。木村さんは伊坂さんの小説について「いろいろ出てきた問題については謎のままでも、登場人物たちの心については、いつもきれいに話を閉じている」と投げかけます。この言葉は伊坂さんにとって正鵠を射ていたようで、意識していなかったがそれは言える、と膝を打ちます。インタビューを読んで思い当たる節があり、本棚から引っ張り出したのが『重力ピエロ』です。

僕が『重力ピエロ』で最も好きなのは、語り手「泉水」の弟である「春」が小屋の上から跳躍して、「春が二階から落ちてきた」と綴られる最後の場面です。この場面は、同じ「春が二階から落ちてきた」という一文から始まる物語の冒頭と呼応しています。物語を締め括る一文でありながら、宙を舞う「春」にとっても、それを見上げる「泉水」にとっても、木村さんが「登場人物たちの心については、いつもきれいに話を閉じている」と述べたプロセスの終着点となります。

「泉水」と「春」、亡くなった母と入院している父。この家族が抱えてきたものは決して軽いものではありません。それに対峙してきた家族を結びつけてきたものを「家族愛」という言葉で乱暴にコーティングしてしまうには、事態はあまりにも複雑です。謎解きに関する軸、家族に関する軸が、それこそ二重螺旋のような関係を見せながら、物語は進みます。

謎解きが終わると、物語は長めのエピローグに入ります。場所を変え、話題を変え、そのたびに言葉を積み重ねて進むエピローグ。気持ちは少しずつ解き放たれます。物語のあちこちに転がったものを思い出して拾い集めれば、最後の場面に向かって登場人物たちの気持ちが徐々に解放されていくのを感じられるのではないでしょうか。その解放されるプロセスは、最後の「春が二階から落ちてきた」で完成します。

登場人物の話が閉じているか、という観点で他の伊坂作品を再読するのも楽しそうです。『砂漠』や『ゴールデンスランバー』の読後感は爽やかだった記憶がありますが、改めて読むと、どれくらい深みを感じられるのでしょうか。作家が物語を生み出すプロセス、その一端を教えてもらうことで、一度読んだ作品も異なる角度から光を当てることができます。そうして物語は陰影を持ち、立体的になるのだと思います。


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