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【自己愛】長所と好きなところは一致しない

自己分析を通じて、
自分のことを客観的に見る機会が増えた。
自分自身の強みや弱みについて、否応なく、
何度も何度も深堀りをする。

長所は、見つけ出そうと思えば、
短所より出てくる。
これまで自己プロデュースに力を入れてきたから、長所ばかりが思いつく。
「私はこんな人間です」と胸を張って言えるようになるために、経験を積んできた。

自然と起こってきた経験が、今の自分の長所を創り出しているのではなくて、
今の自分の長所を語るために、予め描いていたシナリオを進めるように私は生きてきた。
計画通りの性格を今は胸を張って伝えることができている。

しかし、いつからだろうか。
幸せなはずなのに、幸せじゃない。
自分の理想に近づいているのに、自分のことが好きでもなく、
理想に近づいたことが幸せだとも感じない。

満たされてると感じる基準や価値が以前とは違くなった。
中高生の時は、学業に全うしていて、自分が一生懸命やった分、成績として反映される。
順位や点数が上がれば上がる分、努力が報われて嬉しくて、ささやかだが、幸せだと感じる。
その小さな幸せの連続で勉学を続けることが出来た。

今はどうだろう。学業に加えて、アルバイト、学生団体、就職活動、交友関係、
生きているだけでやらなければならないことが増えた。
全て私が望んでやり始めたことなのに、
やっていることに満足しているはずなのに、
何かどこかで満足しない自分がいる。

満たそうと、満たそうとしても、
満たされない。

それはきっと、数多くあるやることの中で一つでも欠けていれば、
それが劣っていると感じてしまうからだ。
10あるうち9が完璧でも1が出来ていなければ9なんて「出来た」に入らなくなる。
9が眼中に入らなくなる。

だから、長所が、私自身の好きなところではない。
ゴールに到達しそうになる頃には新しいゴールがすでに生まれていて、
いつまでも、満たさせない自分がいる。

自分の長所は根拠があり、経験として自信を持って物語れる。
しかし、自分の好きなところは、なかなか思いつかない。

「もう十分頑張っている」「そんなに頑張りすぎなくていい」
もしかしたら私は頑張り屋さんなのかもしれない。
けれど、過去の私と比べたら、今の私は怠惰極まりない。

過去のように、「今の自分、本当頑張っているなぁ」と
もう感じなくなった。

それは幸せの基準が高いからでは全くない。
むしろ低い方だ。

雨が降れば私は嬉しく思うし、
カフェの店員さんの愛想が良いと1日がいい日になる気がしている。

大切な人と過ごす時間は私の心が底まで満たされるし、
「好き」そう思うだけで、相手に伝えられなくても、私が幸せになる。

私が幸せだと思う瞬間は、いつも他者や環境が伴う。
1人で本を読む時間や映画を観る時間、家で予定もなく過ごす時間は、
幸せではない。幸せの裏に、罪悪感が潜んでいる。
それに毎度気付いていながら、過ごしている。

他者からの承認が足りないわけではない。
褒めてもらえることだって、ある。

足りないのは、自分からの承認。

心の底から認めてあげて、幸せだと感じて欲しい。

どうやって?
この答えは当分の間の課題になりそう。

けれど、それでいい。
すぐに答えを見つけ出せなくても、
これまで積み上げてきた長所がたくさん武器になって
私を守ってくれている。

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