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旅行記 Vol.1

4月8日(月)


今年に入ってから、
会いたい人に会うこと、
行きたい場所に行くことに貪欲である。

少しでも「会いたいな」と思ったら、
連絡してみる。
「遠くて会えない」を言い訳にして
いつか会えば良かったと思うことのないように
与えられた時間も、いのちも、
有限であることを深く理解し、
けれど理解しただけでは駄目で、
どう使い果たすかを考えておく必要がある。

だから私は2024年度、
「生産的な学生を送ること」を目標にした。

朝に大阪・梅田に着き、
なんだか懐かしい気分になった。
大学一年生の頃、
毎月のように夜行バスに乗り大阪に行き
大切に想っていた人に会いに行っていた。

この日も同じバスターミナルに下車し、
地図アプリを見ずとも
あの時と同じ道を歩いて駅へ向かった。

国内国外問わず、
カフェと本屋には行きたい。

友人と落ち合ったのちに、
スターバックスが併設している
梅田の蔦屋書店で珈琲を飲みながら
翌日以降の京都旅の計画を立てた。

家族で旅行に行く時は
両親がExcelに一日のタイムラインを作成して
分単位で旅行の計画を立ててくれる。

完全に我が家は一貫して「計画派」だが、
旅を計画することは私自身初めての経験だった。
計画を立てている時間が楽しかった。
少しずつ京都という土地が点と点で結ばれていく感覚が快感だった。

午後

「もう一度会いたい」
と直感が自分の心がそう言った
ある人に会いに行った。

昨年末にお会いした人で、
その時は30分も会話をしていなかったと思う。

けれど、SNSを拝見していると
「もっと知りたい」という感情が湧いた。
言語化が出来なければ、確固たる自信もなかったけれど、
なんとなく、話し合える予感がしていた。

直感は当たっていた。
その人が持っている世界、嗜好、感性、言葉は、私には何ひとつ持っていないもので
それが良かった。

似ていそうで、似ていなくて、
けれど全く似ていなさそうで、
似ているところもあって

確かにどこかで私の世界と
その人の世界がはまる瞬間が存在していて、

分かり合える瞬間、
分からない瞬間さえも
満たされた。

例外はあるが、
私は言葉を自分自身で紡ぐことを大切にする人
に「会いたい」と思うのかもしれない。

くちびる

4月9日(火)


大阪から京都に移動。
一日目は宇治から京都旅を始めた。
『源氏物語』の最後の十帖は舞台が宇治であることから「宇治十帖」と呼ばれている。

大河ドラマの影響で
以前からまさに紫式部や『源氏物語』の聖地と呼ばれるような場所に行きたくなっていた。

ここへ来る前に『源氏物語』の大概の内容が纏められた一冊の本を読み、
ある程度理解をした上で宇治の町を堪能した。

二月にも、
太宰治の『津軽』を読んで
彼の出身地である青森県の金木町やその周辺を
歩き回った。

作品を読んだり、観たり、聴いたりして
その舞台へ行くことはやはり面白い。

十円玉の横顔

夕方には三条へ移動し、
ホテルのチェックインを済ませ、
ホテル周辺で夜ご飯や買い物をした。

一番行きたかったのは
梶井基次郎の『檸檬』に出てくる
丸善京都本店。
そこへ行くと、一面の本棚の半分以上が
全く同じ『檸檬』が陳列されていて、
プラスチック製のレモンが置かれていたり、
オリジナルのスタンプがあったりと、
一つの名所のようになっていて面白かった。

本好きにはたまらないだろう。
書店によって平置きされている本や、
ポップに書かれている内容、
推奨する作家や作品が全く異なるから、
違う書店にも売ってあるであろう本であっても、
その土地で本を買う、ということは
一つの思い出にもなる。

『檸檬』に加えて、
太陽の塔を見た時の前日の衝撃が忘れられず、
岡本太郎の『自分の中に毒を持て』も購入。

大阪京都旅に相応しい二冊

夜は2時頃まで、友人と対話をしていた。

「もう寝ないとだよね」
「でもまだ話したいことがたくさん」
「じゃああと少しだけ」

笑って、考えて、また笑って、しあわせ。

4月10日(水)

東京から持ってきた本は二冊だけ。
一冊に纏められた『源氏物語』と、
松浦弥太郎さんの『エッセイストのように生きる』。

心に寄り添うような言葉を紡ぎ出す弥太郎さんの、エッセイを書く上でのノウハウや思考の方法が書かれている。読めば弥太郎さんの言葉が、こんなにも温かみのあるものになっている理由が分かる。

どこへ行くにも弥太郎さんの本は持ち運びたい。

弥太郎さんの紡ぐ言葉は優しくて好き

朝の平安神宮は、静かで、穏やかで、
空気が澄んでいて、清々しかった。

ホテルへ戻る帰り道に蔦屋書店に行った。
本屋があるだけですぐに入りたくなる。

デジタルカメラを東京から持ってくるのを忘れて悔しかったところ、
偶然使い捨てのフィルムカメラが売っていた。
上手に撮れるか分からないが、買ってみた。

そして、一番驚いたのが、
私が高校の時から大切にしている詩集が売っていたことだ。

今の私を作り出しているきっかけの本の一つであり、
SNSにその本を載せたことは一度もない。

大切すぎるからこそ、誰にも教えたくない、とっておきの、宝物のような一冊。
その本を買ってから五年経つが、
初めて本屋で見かけた。出会えて良かった。

近くで見たらすっごく大きい

一つ決めたことがある。
次の旅行までに私は「侘び寂び」を体感するセンスを磨きたい。

自身の五感を研ぎ澄まし、
「あ、これが侘び寂びだ」と思い、
腑に落ちる瞬間を感じたい。

建仁寺にて
ここだけが初夏のような空間だった

清水の街並みを堪能した後、丸善へ再び戻った。
友人と30分ほど別れ、お互いに贈り合う本を選書した。

私が贈った本は
谷川俊太郎さんの『幸せについて』と、
若松英輔さんの『見えない涙』。

短い言葉だけれど、そこには深い意味が存在し、
自分では表すことが出来なかった言葉に私は何度も救われていた。

本を贈ることは、
相手に対してほんの少しの期待が込められている。

人からもらった本にはなかなか手が伸びない。一方、送った人は、自分に起こった小さな「事件」がほかの人にも起こると信じている。

若松英輔『悲しみの秘義』

自分自身が感じた、感動や衝撃を
相手にもどうか同じように感じてほしいという、期待。

私も、もしかしたらそんな期待を込めて選んだのかもしれない。
言葉の愛しみを感じてほしいと。

私に涙は見えないけれど、いつか、一人で孤独を抱く時、
その絶望に光を灯す希望になりたい。

友人が贈ってくれた本は
池田晶子さんの『知ることより考えること』

4月11日(木)朝

早朝5:30新宿に到着。
アナウンスを聞くまで熟睡していたために慌てて下車した。

バスターミナルから外に出た瞬間、

まだ冬が明けたばかりの、
けれど確かに春が来たと、
そう思わせるような、

柔らかい朝日と肌寒い空気が私の胸を昂らせてくれた。

今日を生きる希望をもたらしてくれた。

やっぱり早起きはいい。

これで旅は終わり。
今日も東京で、いつものようにご飯を食べ、職場に向かい、
世界から来る観光客を接客し、生きた。

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