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architect / 建築


今日は大学と仕事のはなしをしようかなと思います

建築の道に進んだ経緯は違う記事で話しているので良かったらこちらから


なので大学の4年間とその後の仕事の話までしたいと思います



大学のはなし


私は東京の4年制私立大学の建築学科を卒業しました。

この大学の強みは、とにかく新しい試みがあったことと、通常の建築の大学の捉え方とは少し違っていたこともあり、建築は理系だけの分野でなく、文系もいる建築学科といった感じでした。
なので、割と懸念してた女の子少ない問題は全然大丈夫でした。

あとは、大学に入ってから興味に併せて徐々に専門的になっていくようなカリキュラムだったので、1、2年生はみんな同じ授業を受けていました。


1、2年生の授業自体は設計課題をはじめとする、いわゆる建築士の試験の受験に必要な科目【必修科目】と、言語学や、その他教養といった【選択科目】で構成されていました。
(体育とかも全然ありました。ただ散歩する授業あったっけ。)

私の大学は、1学年約300人程度で
設計の授業は名簿順で3クラス100人程度に分かれての授業でした。他は2クラス150人ずつくらいで、大きい講義室での授業が多かったです。

建築学科の精神的にも大きな割合を占めるのはやはり設計の授業。

基本的には前期、後期それぞれ一課題(一年生の最初の方は二課題くらい)あって、基礎設計から最後模型とプレゼンまでを半期で行うといった感じでした。

授業内容は
最初は設計概要の説明と敷地概要(敷地は大学の近くのある敷地が与えられている事が多かったです)を説明されて、敷地調査と設計事例収集などから始まります。

その後自分で設計していくんですが、毎週の授業で”エスキス”という形で、沢山いる教授一人捕まえて(決まってた時もあったけど)自分の設計趣旨を説明した上でアドバイスをもらい、徐々に設計内容を詰めていくといった作業をしていきます。

最初はもう何をしたらいいのやら。どうやって建物構成をしていくのか訳わからんのです。

その中でまず ”敷地を読む” ということを教わります。

普通に考えたらそうなんですけど、日当たりだったり、人の流れだったり、アプローチ方法だったり。敷地の形や立地によってどんな建物をその敷地に入れ込むのかが鍵となってきます。

住宅だったら、南側が日当たりがいいからリビングを持ってこよう!とか
商業施設だったら、大通りに面した側をエントランスや、カフェを設けよう!とかある程度この部屋はここにあったらいいなぁというのをパズルみたいにはめていくのです。

そこに、各々コンセプトを見出して形にするんですが、それが難しい。

コンセプトを建物形状に表す人もいれば、建物内部のシステムに表す人もいたり、ほんとにいろいろです。

(ある花のイラストが特徴の作家の美術館の課題で、美術館の建物形状を花の形にした生徒が続出して”そうじゃない”と怒られてました。)

正解なんてないものを、自分なりの正解を出す。 
落とし所を決める。
それを決められた期限内にやる。

これって、大学の設計課題だけでなく、実務でも同じだなぁとつくづく思います。

課題の最終提出では、模型やプレゼンシートを提出して何名か教授たちに選ばれた作品が発表されて、いいだの、悪いだの、講評されるといった感じでした。
プラス、一人一人A〜Eの評価をつけられて課題が返却されます。

ここで選ばれてくる人たちって、案外結構決まってくるんですよね。
(そして、4年の卒業設計の優秀者も大体同じ人たち。笑)

提出物に不備があるとかは、問答無用でDとかEなんですけど、設計課題って本当に教授たちの好き嫌いもあるから、モノサシがなくて難しい。
どういう基準で成績決めてんだろ。って思ってました。

私は、一年生のときはたまーに呼ばれるくらいでした、、埋もれてたと思います。

二年生になってからは、割と課題の雰囲気や取り組み方もわかってきたり、親身に相談にのってくれる教授もいたので、相談して悩んだ分だけ作品に反映できたし、それが評価されてきて、だんだん設計が楽しくなってきた時期だったと思います。

とにかく、教授や先輩と仲良くなるのは本当に大事です。
課題だけでなく、就職のタイミングや社会に出てからも建築ネットワークは意外と狭いので、助けてくれたり気にかけてくれてくれると思います。

三年生からは通常の設計や他の授業と並行して、ゼミという研究室所属の一歩手前のようなものがあり、基本的には、興味のある研究対象のある研究室のゼミに参加し、4年生には正式にその研究室に所属するみたいな感じでした。基本的にみんなゼミも研究室も一緒です。
たまーに変える人もいました。


私は、まちづくりと建築デザインの中間のような研究室で、ある地域の復興や産業支援的な意味も含めて、空き家をリノベーションして夏にビアガーデンをしたり、町の観光促進のため、インスタレーションを作ったり。
はたまた、教授の設計事務所の仕事を手伝ったりなど、実際に社会に出て活動する研究室でした。

面白かったです。学生のうちに実務に少し触れる機会があったので。


その延長のような感じで三年生の夏休みを利用して、設計事務所のインターンに行ってました。主に住宅の設計をしている事務所で基本的には模型作成をしていました。
それとは別に、大学の教授の設計事務所のバイトもしていました。
3年生から普通に雑貨屋さんでもアルバイトしてたので、バイトとゼミで三年生の夏は終わりました。

インターンは授業からはわからない実務の独特な雰囲気はあったので、行って良かったしアトリエ系の設計事務所はこんなに大変なのかと、地獄も見ました。
でも、実際に住宅の現場に連れて行ってもらえたりもしてたので、かなり勉強になりました。見ると見ないとでは大違いです。


最近は就活の制度も変わって、インターン行くのが主流になってきたようですが、やっぱり外から見ててもわからないもんね。単純に見て決めたいと思うし。

その辺は、周りが促してくれたり紹介してくれるパターンもあるけど、自分で探してアポ取っていくということをしないといけないので、意思がないと行動は結構難しいかもです。

興味がある人は時間のそこそこあるうちに行くべきだと思います。


そして私の時は3年の12月から就活が始まりました。
正直就活は全然うまくいかなかったです。
雰囲気にのまれてしまったのが一つと、自分のやりたいことや興味のあることを絞れなかったので手当たり次第受けてました。
いくつか、入りたい!と思った企業はありましたが尽く不採用。

あまり眼中になかったハウスメーカーばかり受かるのに、興味のあるところには全然受からなくて本当に悩みました。
結果的にはゼネコン設計部へ就職したのですが、まぁ結果的には良かったかなと思っています。


4年生の5月ごろ就活もひと段落したので、いよいよ卒業設計に取り掛かります。

4年生は授業自体はほとんどありませんでした。

卒業設計は大学生活の集大成ともいえるもので、これをもって単位取得+卒業確定というような感じでした。
もちろん卒業論文の人もいましたが、これは基本研究室教授の意向によって決まっていました。

私の研究室は割と意匠系だったので、卒業設計の人しかいませんでした。


0から行う設計は基本的に卒業設計が初めてです。
敷地の選定や、建物種別から何から何まで、、自由です。
自由なことってこんなに難しいのかと逆に思いました。

最終提出は1月になるんですが、正直これで行くぞ!ってなったのは12月でした。後輩に模型を手伝ってもらいながらなんとか進めて、提出の前日に完成しました。

A1シートが10枚と1/50の模型を提出しました。

提出日は本当に提出しただけで、その一週間後に掲示でtop30名が貼り出されます。そこでは自分の作品を壁に掲示して、近くに模型を置いて、廻ってきた教授陣にプレゼンができます。そののちにtop10が選出されてその10名はパワーポインターでマイクを使ってさらに公開プレゼンをする事ができます。

その後、最優秀賞、優秀賞、審査員特別賞2名の発表がされます。

私はtop30には残ったものの、top10には選ばれず他の同級生のプレゼンを横目に友達と後ろの方で喋っていたのですが、そんな中、審査員特別賞をもらう事ができました。

top10 に選ばれてないのに特別賞もらってしまった、、。と
しかもその審査員の方はかなり建築界では有名な方だったので、羨ましがられましたが、私はびっくりで思わず泣きました。

やってる時は必死だったけど、終わってみると苦しかったなと思います。
でもいい経験でした。

その流れで、卒業設計展などにも出して賞を頂いたりして、就職してからも卒業設計展があったりしたので私の卒業設計の全てはなんだかんだ4月入ってから終わりました。


社会人(新卒採用)


4月に入社して最初の1週間は研修に行ってました。

その後は設計部の社員も一度は現場配属になるため、延2000㎡程度の鉄骨造二階建ての福祉施設の現場に配属されました。
想像はしてましたが、女子一人です。

所長含め、その現場には同僚が4名いました。なので、いろんなことを聞くにはとても恵まれた環境でしたし、職人さんたちにも珍しがられましたが、可愛がってもらえてたと思います。
よく缶コーヒーもらってました。

仕事ではなにが大変だったかといえば、女の子の日のトイレですね、、
現場には仮設トイレしかありませんから、それに関してはちょっと辛かったです。お昼休みに、ちかくのコンビニに行ったりしてました。

先輩がちょっとめんどくさいとかはありましたが、それはどこでもきっとおなじでしょう。
笑って過ごしてたら何とかなります。笑

現場に出て半年ほどで竣工し、本社の設計部に戻りました。
設計部に戻ってからは、設計の仕事はもちろんですが、施工会社だったので、積算などもやっていました。


積算、意外と楽しかったです。
何がいくらでとかもそうですが、これだけのモノと手間があって、それが積み重なって一つの建物ができるのが、明確に可視化できるのですごいなぁと思います。 でも難しくて、よくわからんでした。 あれは経験を積み重ねて感覚を養わないとできない感じでした。

あとは、公共事業、民間事業さまざまですが、入札というものがあります。
一つの工事に対して、いろんな施工業者がうちなら○○○円でその工事できるぞ!と一斉にだして、他、会社の売上やらいろんな項目を比較して、点数をつけられて、発注者がどの施工会社に工事を頼むか決めるというものです。

なので、安かったから通るわけでもないのです。

入札の時はなんというか、他の会社ともいろんな駆け引きもあったりするので、ギャンブルしてるような先輩たちの目がおもろいです。 

わたしは、主に小規模な建物の設計業務が多かったのですが、申請業務や、管理業務など一通りやらせてもらいました。

一度びっくりしたのは、スウェーデン式サウンディング試験という一番ポピュラーな地盤調査はしたものの、いざ掘削してみると、銭湯の跡が出てきたこと。タイル張りの。まんま銭湯。

昔は少し道から下がった場所に銭湯があって、上側だけ解体して、床部分と基礎はそのままで、盛土をして道とレベルをあわせて駐車場に使ってたという土地でした。 あれはびっくりした。 工事遅れたし。

そんなこんなで、約三年半ほどこの会社にはお世話になりました。


退職した経緯はまた違う記事にて。


社会人(中途採用)


中途採用で設計事務所に就職しました。

設計事務所以外にも様々な事業を行っている会社で、最初の1年間は建築というよりは、いろんな事業の立ち上げやサポートをしていました。

いまは、設計業務をしています。
主に住宅が基本ですが、非住宅もやります。あとは不動産業もあるので、割と一貫して受けれる会社だと思います。


日々、図面を書く仕事がほとんどではあるのですがそのほかにもいろんな業務を振られます。 なんでもやさん。



建築をやっていくのに、なんとなく身を置きたい場所は、建築以外もやっている場所だなぁとは思っています。

実際業務になると、”なんでこんなことまで”と思うには思うのですが、設計も出来て、他のこともできたほうがわたしは面白いと思うので。

ずっとなんでもやさん精神です。

人生なにごとも経験です。 
みんなが嫌な仕事は、やったことない仕事なことも多いから。 
それならそれができるようになれば、役に立つ。という思考回路です。 
わたしもやりたくはないけど、そういう仕事のほとんどは、やった後に達成感もあるし、まわりに感謝されるんですよね。
それを”しょうがねぇなぁ”っておもいながらやってます。 
それが嫌な仕事に対する仕事のモチベーションです。

仕事って難しい。
って毎日思います。
いやだなぁって思います。

でもその時どうやって解決するか、乗り越えるかは別に一人で考えなくていいって思ってます。
周りを頼ります。 それで嫌な顔する人とは仕事しません。
なので中途で入るときは、人や環境を重視しました。
正しかったと思います。 楽しい環境でやらせてもらってます。

仕事選べないけど、人は選べるって思ってます。


建築業界はまだまだ、不安定だし需要はあるのに給料は少ない。
でもこの道に進んでしまったから、まだしばらくは歩きます。


ゆるーく、楽しく頑張れ、じぶん








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