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終戦に寄せて

私は幼い頃から、戦時中の話を聴くのが好きな子どもだった。
好きというと語弊があるかもしれないが、とても興味があった。
祖母の兄2人は戦争から帰って来なかったと、何度もその話を飽きずに祖母から聴いて育った。
長岡空襲の際は、米山の向こうが真っ赤で直江津まで見えたそうだ。

デイサービスで働いていた際、利用者のM様に大変可愛がっていただいた。
とても紳士で、優しく穏やかな方だった。

M様は戦中に東京の軍事工場で働いており、私も学生新人時代が東京と千葉だったため、非常に話があった。

平井と両国の間の川を泳いで渡った話や、
六郷土手に住んでいた話など。

そんな話をM様の入浴中に、たくさんうかがった。

六郷土手で、M様の当時の彼女さんと手をつないで歩いた話。
彼女さんを愛していた話。

眼鏡の奥の目を細めて、上を見上げながら話してくださった。

戦争が終わると、M様は新潟に引き上げなければならない時が来てしまう。
長男だったM様は、東京には残れない。

それはつまり、彼女との別れだ。

上野駅で汽車に乗り込むと、彼女が見送りに来てくれたとM様は穏やかに話していた。

「今でも忘れられないのは当時の六郷土手の彼女なんだ。奥さんには悪いけどな。怒られちまうな。だし、秘密だぞ〜。
上野駅の寂しそうな彼女がな。忘れられないんだよな。本当に愛してたんだからしょうがないんだよな。
 上(天国)に逝ったら会いたいんだ……
 良い話しちゃったな〜。」

と、M様は笑って私を茶化した。

私の知っているM様はとても愛妻家で、認知症の奥様の介護もヨタヨタしながら頑張っていた。
戦後はきっと、その時の環境に身を置いて生きてきたんだと思われる。

終戦の日に思い出す。
逢えていたらいいなと祈る。



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