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フランシス・フクヤマ『政治の起源 人類以前からフランス革命まで』

『歴史の終わり』で有名なフランシス・フクヤマによる名著です。邦訳が出たのは2013年。

「自由民主主義システムが人類の最終ステージなのであり、ここから先は大幅な革命や変化などなく、その意味で歴史は完了したのだ」というようなことを、そこそこの確信で語ったのが『歴史の終わり』でした。

しかし21世紀に入ると様相がおかしくなります。自由化や民主化の流れがストップし、それどころか逆行する国まで次々と現れはじめたのです。

これはどういうことなのか?

このような状況と対峙してフクヤマが書き下ろしたのが本書『政治の起源』というわけです。なそ続編の『政治の衰退』も評価が高いです。


近代的な自由民主主義を機能させるには、ベースとなる制度が必要。本書はその制度の歴史を掘り起こす作品となっています。

具体的には次の3つの制度を扱います。

・国家
・法の支配
・政府の説明責任

この3つの制度はいかにして生成したのか。いかにして3つの制度は互いに混ざり合い、あるいは反発し合うのか。どうしたらこの3つをバランスよく構築できるのか。


上巻は中国、インド、イスラム世界が扱われます。

中国の国家形成を基本的な枠組みとし、その他の地域はなぜ中国と別のルートを進んだのか、という叙述進行になっている点が独特。

西洋を規範としてそこから外れる地域を逸脱として扱うありふれたモデルから、意図的に離れています(このモデルの権化がヘーゲルの歴史哲学であり、フクヤマの『歴史の終わり』はヘーゲルの線で動いている著作でした)

『歴史の終わり』は哲学的な内容の濃いエッセイみたいな本でした。それに対して本書は哲学的な考察は薄く、歴史学や人類学のエリアに寄っています。そしてノリも本格的というかより学術的な感じ。


・21世紀に入ると世界では民主主義化の後退が起きた。しかし民主主義の理念は衰えていない。それに代わる強力な思想が出てきたわけではない。問題は理念ではなく、その実行にある。

・説明責任をもった政府が、市民の求めるサービスを無駄なく迅速に提供する。このような実行ができる政府は少ない。

・制度が重要。民主主義や市場経済は強固な制度のうえでようやく作動するもの。強権的で邪魔な政府を排除すれば自動的に民主主義や市場経済が生えてくるわけではない(そう勘違いしたアメリカはイラクやアフガニスタンの統治に失敗した)

・アメリカの民主党と共和党はイデオロギーで凝り固まり、対話が不可能な状況。それを打破する大統領のリーダーシップも見られない。そして政府は民衆から乖離している。フランス革命前夜のアンシャン・レジームに今ほどアメリカが近づいたことはない。

・ホッブズやルソーの自然状態論は、近代の個人主義を過去に投影したもの。実際には人間ははじめから社会的だった。アリストテレスの説のほうが正しい。個人主義は後から発達してきた。

・マルクスの誤りは中国とインドを「アジア的」として一括りにしたこと。しかし両者はまったく性格の違う社会システムである。

・中国は国家が強く、法の支配と説明責任が弱い。一方でインドは国家が弱く分権的で、民主主義が強い。


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