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空気読みよりもルール設計 菅野仁『友だち幻想』

なぜ友人関係は疲れるのか?どんな距離感覚で人と接するのが適切なのか?

こうした問いかけに一つの指針を与えたロングセラーが『友だち幻想』(ちくまプリマー新書)。

発売からだいぶ経ってから火がつきベストセラーになった珍しい作品。読んでみたら確かに面白い。

著者は社会学者の菅野仁。ジンメル(ウェーバーやデュルケムとならぶ社会学の始祖)の研究者でもあります。


本書のコアとなる主張、それは同質性から並存性へということ。

昭和あたりまでの日本社会に特徴的だった性質が、同質性でした。成員の差異をできるかぎりゼロに近づけることで、集団の秩序を安定させます。空気を読むことが推奨され、人と人との距離は近ければ近いほど良しとされる。

しかし、平成あたりから社会の様相が変わってきました。社会の同質性が解体され、異質な他者と接する機会も増えていきます。

では人と人との関係の仕方もそれにつれて変わったかというと、あんまり変わってないんですね。

ここに問題がある、というのが著者の主張です。

もはやかつてほど同質的な社会ではないのだから、人間関係も別の新しい原理を導入しないと地獄になる、と。

そしてその新しい原理が並存性です。

偶然の関係の集合体の中では、当然のことですが、気の合わない人間、あまり自分が好ましいと思わない人間とも出会います。そんな時に、そういう人たちとも「並存」「共在」できることが大切なのです。
そのためには、「気に入らない相手とも、お互い傷つけあわない形で、ともに時間と空間をとりあえず共有できる作法」を身につける以外にないのです。

菅野仁『友だち幻想』

無理に自分や相手を変えて同質性を目指すのではなく、なるべくバラバラなままで共在していく。これが並存性の原理とされます。


フィーリング共有関係からルール関係へ

ではどうやったら並存性の人間関係が達成できるのかというと、著者いわくルールの構築が大切になってきます。

同質性の社会では客観的なルールは必要ではなく、むしろフィーリング共有関係でなんとかなっていました。

フィーリング共有関係は、集団の成員同士が同じ価値観や感情を共有することを求めるもので、まさに同質性の社会にぴったしの原理です。空気からはみ出したものは村八分され、集団の一体感が保たれます。

しかし現在の社会ではこれは機能しにくいんですよね。

そこで必要になるのがルール関係です。これは他者同士が上手く共存できるように、最低限守らなくてはいけないルールを定め、そのルールのもとで人間関係を営むことをいいます。

「殺すな」「盗むな」「殴るな」というふうに、集団維持にとって致命的なものだけを明確に禁じ、それ以外はそれぞれ自由にしたらいいというやり方です。


でもルールとかいうと窮屈でめんどくさそうなイメージありますよね。

しかし本書の著者によると、それは逆なのです。

ルールというものは、できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。
なるべく多くの人が、最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは、「これさえ守ればあとは自由」というように、「自由」とワンセットになっているのです。

同書より

逆にルールをなくして完全な自由放任にしてしまうと、万人の万人に対する戦いが始まってしまうわけですね。ある時は上に立ったかと思うと次は下になる。いつだれにターゲットにされるかわからない緊張で、全員がつねにピリピリしている状況です。

明確なルールを設定しておけばこの状況への突入を回避できるわけですから、結局はみんなが得をするというわけです。


著者はフィーリング共有関係とルール関係の対比をもちいて、いじめへの対処についても論じています。

著者の考えはシンプルで、いじめはルールを破ってる、だから駄目だ、というもの。

いじめという行為は、人と人との関係の基本に照らしてみて明らかにルール違反なわけです。ですから、ルールに反することはしてはいけないということを徹底していく、つまり「ルール関係」をベースにして、先生は裁定を下していかなくてはなりません。ここに「みんな仲良く」という「フィーリング共有関係」だけを持ち込んでもうまくいかないのです。

同書より

フィーリング共有関係の観点からみると、いじめられるほうにも問題がある的な考えに傾きやすいんですよね。集団の同質性から浮いてるからいけないんだ的な。

しかしルール関係で考えればそのような罠にはまり込む心配もありません。いじめは人間同士が共存するためのルールに違反しているのであり、理由はどうあれ反則は反則なのですから。

ただし、ルール違反した者をいじめの対象にするようでは本末転倒ですが。このへんは本書には書かれていないですが、みんなが納得できる罰則を客観的に定めておくことが必要でしょう。


そして著者は、教師の役割はルールの管理と維持にあるといいます。無理にクラスの一体感を達成する必要もないし、生徒から尊敬を集めるようなスーパーマンになる必要もない。

先生は何よりもまず学校という空間における最低限のルール性の維持・管理をしなければいけないのです。いくら学校がつまらなくたって、一応そこへ行っても危害は加えられないことが保障されているのが当然で、それをきちんと管理することが先生の最低限の役割なのです。

同書より

このへんは教師の側が読んでも得られるものが多いと思われます。


最後に著者は、経済的な自立に加えて、精神的な自立も大人になるうえでは欠かせないと説きます。合わない相手とも上手に共在し、それと同時に他者のなかから親密になれる存在を発見していくこと。

これが実際にできる人なんてほとんどいないでしょう。とはいえ本書は、目指すべき方向性を教えてくれる羅針盤になると思います。



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