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鈴木大拙のデビュー作『大乗仏教概論』

鈴木大拙のデビュー作がこの『大乗仏教概論』。

大拙はアメリカを拠点として西洋相手に東洋や日本の宗教および哲学を普及させたひと。世界でもっとも影響力のある日本の知識人です。

本書もやはり原書は英語で書かれています。

タイトルに反して大乗仏教の概論としては誤りの多い問題作。だから本人ものちに本書の存在を封じました(本人の意志を尊重するなら出版すべきじゃなかった著作)。

しかし大拙自身の思想を明らかにした著作として読めば名作です。

法身を宇宙にあまねく汎神論的な神と解釈したり、菩提心を修行者ひとりひとりの心に映り込む法身と解釈したりと良くも悪くも独創的です。

三身説をキリスト教の三位一体説と結びつけるところなどを見るに、大拙の念頭には日本発の世界的かつ普遍的な宗教体系を樹立することがあったのではないかと思います。


しかしこのような思想は大乗仏教全般を代表するものではありえないとして、西洋の仏教学者から批判されたのでした。それはむしろヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派やドイツ観念論に通じるものだと。

大拙が本書を書くにあたってもっとも参考にしたのが『大乗起信論』(古代インドもしくは中国で書かれた説もある)。

しかしこの作品はその成立の過程でヒンドゥー教の影響下にあったことがのちに明らかにされます。

宇宙を包み込む真如ないし法身が、個々の存在者にあまねく隣在し、悟りをめざすそれぞれの働きをサポートしている…このような大拙の汎神論的な発想は『大乗起信論』から導かれたもの。

大拙は知らず知らずのうちにヒンドゥー教の影響を受けていたといえるでしょう。これは西田幾多郎の哲学にも同じことがいえると思います。

というかそもそも大乗仏教自体が、その成立過程においてヒンドゥー教の影響下にあった可能性が高いのですが。


しかも日本に伝わった仏教は中国に経由されています。

中国人は老子や荘子の無の思想で仏教を理解しました。そこでますます汎神論のトーンが強まることになります。

空の思想が、万物を抱合する無の思想に変化しているんですね。

そう考えてみると日本の仏教が汎神論的な色の強いものになるのは自然。それは原始仏教よりもヒンドゥー教や老荘思想に近い宗教なんです。

日本仏教の伝統にもとづきオリジナルの哲学を樹立せんとした大拙や西田幾多郎の思想が、期せずしてヒンドゥー教っぽくなるのは自然なことでした。

とはいえ、それが原始仏教に比べて宗教的ないし思想的に劣化していると考える必要はないでしょう。

哲学体系としてみれば、むしろ勝っている部分も多いんじゃないかなと思います。


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