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会いたい人の写真は撮っておくといい

先週、「小さなタイムカプセル」でも書いたとおり、私は普段からフィルムカメラで写真を撮っている。

フィルムカメラが好きな点はふたつある。ひとつは、ワクワクドキドキしながら、現像の日を迎えられるところ。もうひとつは、「写真ができたよ」という口実で、友人に連絡ができるところだ。

社会人は思ったよりも連絡をとらない

大人になってからというもの、誰かと連絡をとる頻度というのは、極端に減った。初めて携帯を持たせてもらった中学生の頃なんて、毎日同級生とメールをしていたし、ラインが普及した高校生の頃は、常に複数人と連絡を取り合っていた。明日学校で話せばいいことも、わざわざラインで連絡していた気がする。

大学生になると、高校生の頃よりも淡白な内容になったものの、それでも何かしらのグループラインは頻繁に動いていた。眠れない夜は、友達とラインのラリーをして、朝を迎えることもあった。

「こういうふうに連絡を取り合う関係が、ずっと続いていくのかな」

大学卒業が迫ったある日、ふとそんなことを思った。周りが関西に留まるなか、4月から上京が決まっていた私は、頻繁に会えなくたって、友達と繋がりを感じていたかったんだと思う。

しかし、社会人になると、友達と連絡する頻度は、意に反して少しずつ減っていった。はじめこそ「社会人生活はどう?」「次のゴールデンウィーク遊ぼうよ」みたいな連絡を取り合っていたものの、5月が終わる頃には、会社のグループラインばかりが、通知音を鳴らすようになった。

そりゃそうだ。毎日バイトや学校で会っていた関係から、みんなバラバラになってしまったのだから。共通の話題なんてものは、環境が変わるとあっという間になくなってしまう。

日々の何気ないラインは、大型連休前の「遊ぼうよ」という呼びかけに形を変えた。遊んだときの話題は、「近況報告」と題して、会えなかった期間の話をするのが当たり前になった。

気づいたら、遊びの誘い以外で、友人に連絡することはなくなっていた。

写真が私と友人を繋げてくれる

だけど、フィルムカメラをはじめた頃から、私にはもうひとつ、友人に連絡する機会ができた。それは、写真屋さんから現像データが届いたときだ。

出かけるたびに、フィルムカメラを持ち歩いている私の現像データには、いつも何人かの友人の姿が映っている。それを「写真が届いたよ」というメッセージを添えて、ラインで送る。

すると、「このとき楽しかったよね」みたいな返事が返ってきて、そこから何気ない会話に繋がることもしばしば。そのたびに「意味のない会話ってこんなに温かいものなんだなぁ」と実感する。用事の連絡よりも、何気ない会話の方が、何倍も繋がっている気がするのはなぜなのだろう。

そういえば社会人になってから、ふと「私、あの子と疎遠にならないかな」と不安になることが増えた。タイミングが合わなくて、大型連休に遊べないとき。連絡のスパンが空いたとき。「このまま連絡をとらないまま、関係が消滅するじゃないか」と、ちょっと怖くなることがある。

だから、ずっと繋がっていたい人は、フィルムカメラで撮っておくといい。立てる予定がなくたって、取り立てた用事がなくたって、連絡する口実をつくることができるんだから。

すぐに写真を共有できないフィルムカメラ。だからこそ、撮った写真は時を越えて、私と友人を繋いでくれる。

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