いつ死んでもおかしくない

重い話

私は何のために生まれてきたのか、生まれてきた価値が果たして私にはあるのか。
そんな疑問を自分自身にたたきつけている今。
私はいつ殺されてもおかしくないのだと悟った今日。
父から貰った言葉は、お疲れ様でも、お帰りでもなくて。
“殺す時はこんな感情なんだなって思うよ”という言葉。
生きているだけで私は罪なのだろうか。
私は油断をしていたのだと悟った今日。
私はまだ子供だったのだ。
それでも今高校生になっていた。
次は社会人だ。
その時私は生きているだろうか。

今日、父と口論をした。
ストレスのことだ。
お互いのストレスは計り知れない。
父は子供なのだろう。
私はもう、父に何も求めては行けないのだと、いや、何を求めることがあるのだと。
父は掃除機を私に振り下ろそうとした。
私をあれで撲殺するつもりだったのだろうか。
撲殺は痛いのだろうな。
父の顔が、分からなくなった。
父と目を合わせていたはずなのに。
父の顔が見えなくなった。


私には父のつらさが分からない。
父には私の苦しさが分からない。

母が亡くなった小学三年の1月。
父が荒れ始めた小学生の春。
父に殺されかけた小学生夏。
父を殺害してしまおうかと思ってしまった中学生の秋。
父から逃げようと裸足で警察署前まで走った冬。


今私は、何をするのが正しいのか分からなくなってきている。
生きることさえしんどくて、リアルの世界が苦しくて。


私の父は、私が父に殺意を持っていたことを知らない。
私の父は、私が父を怖がっていることを知らない。
私の父は、私が男性を怖いと思っていることを知らない。
私の父は、私が中学生の冬、性犯罪にあったことを知らない。

私は、今の父が私の事を殺したい程に恨めしいと思っていることを知っている。

いつ殺されるのだろう。

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