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【親日家か、工作員か】ドナルド・キーン

こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。

今回はドナルド・キーンについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。

ドナルド・キーン

正直、知日派と呼ばれる外国人の著作をあまり読みたいとは思ったことがありませんでしたが、ドナルド・キーンの『日本人の戦争』をどんなきっかけで購入しようと思ったのかもう覚えていませんが、手に取って読んでみることにしました。もう何年前に購入したのかすら覚えてはいません。

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ドナルド・キーン

読み始めた感想としては、日本人の一部の著名人が感じたアメリカやイギリスに対する疑念や猜疑心に対して、それに正面からその疑念や猜疑心を晴らそうというものではなく、そういった疑念や猜疑心をもった日本人のアメリカに対する敵意を直接的に否定する態度には当時から強い違和感を感じざるをえませんでした。

なぜ、このドナルド・キーンなる人物がここまで持て囃されているのか考えてみれば、単純に彼の歴史観が戦後日本のスタンダードであり、フランクリン・ルーズヴェルト政権時代からのアメリカのメインストリームの歴史観であると解釈してみて、私にとってはじめて納得のいくものになります。

彼が日本という国について勉強しようと思った動機は、日本文化に共感を覚えたからではなく、その後のキャリアを考えてのものだったという点を見逃すべきではないでしょう。また、日本研究にあたり、後のCIA初代東京支局長を務めた横浜生まれのユダヤ系アメリカ人ポール・ブルームとコロンビア大学で友人関係にあったことが知られています。

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ポール・ブルーム

CIAの工作員ポール・ブルーム

ポール・ブルームは太平洋戦争時代にはCIAの前身である情報戦略局に参加していました。1948年に在日アメリカ大使館の随行員として、三井本館のGHQの外務省に勤務していましたが、実際にはCIAの東京支局長という立場だったことが今日では解っています。この頃からブルームは帝国ホテルで「火曜会」を主催して情報収集を行いました。

第二次世界大戦末期からベルンの日本公使館の海軍顧問補佐官藤村義朗と終戦工作を行っていたブルームは、藤村の働きによって入手した旧鍋島邸を自宅として、朝日新聞社の笠信太郎や国際文化会館理事長の松本重治、共同通信専務理事で松方正義の息子の松方三郎、社会主義者の政治学者の蝋山政道らと毎月のように会合を開いていました。また、吉田茂首相もしばしばブルーム邸を訪問していたことが知られています。

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朝日新聞の笠信太郎
昭和研究会のメンバー
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共同通信社の松方三郎
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国際文化会館理事長の松本重治
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政治学者で昭和研究会のメンバーの蝋山政道
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火曜会メンバーで昭和研究会のメンバーの東畑精一

軍人と学者としてのドナルド・キーン

ドナルド・キーンは真珠湾攻撃直後の1942年にカリフォルニア大学バークレー校内の海軍語学校で日本語を学び、その後コロンビア大学を卒業しました。海軍情報士官としてハワイに赴任し、各地の戦線に同行し、沖縄攻略作戦にも従軍、戦争が終わると復員兵擁護法を利用して再びコロンビア大学に戻り、ハーヴァード大学やイギリスのケンブリッジ大学で学びました。

戦中と戦後においてブルームと接点があったかどうかは解りませんが、スパイとして暗躍したブルームとは異なり、一軍属として働き、その後大学で日本文化を研究していた二人の立ち位置には違いがあります。

日本人観について

1982年から朝日新聞社の客員編集委員を務めており、日本文化の研究者としての視点から日本を論じていたようには思います。ただし私個人の意見としましては、彼の日本人論は彼のパースペクティヴによって生み出されたものであり、それが本質的なものであるかどうかは、議論の余地があるものと思います。

またかれの日本人観がアメリカの学生や研究者たちにとって、共感を生み出すものなのか、それとも対日戦略の道具として使われるものなのかも、日本人はよくよく考察する必要があります。日本人論というのは単に日本人に好意的かそうでないかにとどまらず、日本人とのビジネス上の宣伝戦略や日本人に対する情報工作のための戦略を行う上での重要な前提として使用されます。世界は善意だけでは動いていません。

日本人は一方で彼らが見る日本人観からこれからの日本人としての在り方などを独自に見出さなければならないでしょう。単に日本の伝統の愛着や日本の道徳論にばかり捉われるべきではないでしょう。私たちがどう思われているのかということについてばかりに捉われていては、なぜ彼らがそう思うのか、何故彼らがそう答えるのかは見えてこないでしょう。

キーンの日米の戦争観

『日本人の戦争』では、アメリカのルーズヴェルト政権についての彼の視点がほとんど欠いています。このことについて、彼が日本文化の研究に邁進したために、彼ら自身の内面性、つまりアメリカの歴史について、彼はそれほど研究していないのではないかという気もします。あるいは意図的にアメリカの本当の歴史を巧妙に隠していたのかもしれないという推測もできます。今日のアメリカの動きを見る限りでは、ドナルド・キーンは前者だったのではないかという気さえします。一方で、ポール・ブルームは後者であった可能性があります。

しかし、一方で、ドナルド・キーンからはマルクス主義やアナーキズムに対する小さくない共感が見え隠れしています。ドナルド・キーンの左翼への共感というのはどこからくるものなのか。ポール・ブルームと同じようにスパイ的要素があったのであれば、私たちは再び新しい観点からドナルド・キーンなる人物を読み解かなければならなくなるでしょう。

ポール・ブルームが、戦前に「共産主義者」というレッテルを貼られていた昭和研究会の元メンバーと積極的に会合を行っていた点などを見ると、戦前から現在までつながる日本とアメリカという垣根を超えた国際的で強力なネットワークがあるようにさえ思えます。こういったネットワークにドナルド・キーンなる人物も所属していたとしても不思議なことはないのかもしれません。

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最後に

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