こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。
今回はエドマンド・バーク『フランス国王弑逆の総裁政府との講和商議についての一下院議員への手紙』からの引用とそれについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。
学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
序文
私たちが学生の頃から教えられてきたことに、すべての人間に授けられた天賦の権利として「自由」と「平等」というものがあります。この「自由」と「平等」の権利が謳われた最初期のフランス革命を巡る知られざる歴史や批判というのは当然存在します。
最も早くフランス革命およびフランスの人権思想を批判したのが保守思想の祖とされるイギリスの政治思想家のエドマンド・バークですが、私たちが一般的に認識する保守というものとは違う、革命当時の出来事を背景とした評論などが実際の彼の政治信条を固めている部分があると思います。
フランス革命とは何だったのか、人権思想とは何なのかを考えるうえで、外せないと思われるのが、ジャコバン主義者とは何者なのか、だれがジャコバン主義者を革命に駆り立てたのか、彼らはどういった正義を思い描き、何を実践したのかを見ていく必要があります。
自由と平等の権利は、人間の猜疑心や虚栄心、残虐さや野蛮さといったものと無関係ではないということを私は改めて指摘しなければならないと思っています。
ほとんどすべての日本人が知らないフランス革命と人権思想の闇について触れているバークの言及について触れていきたいと思います。
引用文
注釈にはこうあります。
1757年生まれのイギリスの風刺画家ジェームズ・ギルレイは、1792年の作品の中で次のような作品を残しています。
風刺画家ジェームズ・ギルレイより
参考までに風刺画家ジェームズ・ギルレイを紹介しているサイトの中からこの作品についての記事を紹介します。
九月虐殺
九月虐殺については以下の記事を参照ください。
バークの引用文に示されている
という箇所は、マリー=モリーユ・ド・ソンブルイユの物語を指していると思います。
父親の命を救うために、犠牲者の血の入ったグラスをマリー=モリーユが飲んだというものです。
感想
フランス革命におけるカニバリズムとは、イギリスの報道の誇張だったのか、あるいは、イギリスの報道はカニバリズムを矮小化してしまったのか、真偽のほどは私にはわかりませんが、いずれにせよ、当時のフランスやイギリスではこのような話は広まっていただろうことは疑いの余地はありません。
またフランス革命期のカニバリズムが実際にイギリスの報道通りかもしくは実際はそれ以上だったとしたならば、革命家のカニバリズムはどこから来たのかという問題が生まれることでしょう。
フランス革命の初期の活動家のミラボーやオルレアン公ルイ・フィリップなどは当時から、イルミナティのメンバーだったと言われて言います。
これはジョン・ロビソンの『陰謀の証明』(1797)にも記されており、ジャコバン主義者による食人や血をすするという慣行はそこから来ているのではないかという可能性は十分に考えられるところではないかと思います。それは現在の陰謀論にみられるイルミナティのメンバーと目される人々からもこの種の慣行の噂が聞こえてくるからです。
またバークは、革命初期からイルミナティおよびフリーメイソンの活動について批判的文章を書いています。バーク自身もフリーメイソンだったようですが、大陸のフリーメイソンにこの種の慣行が行われていたのではないかと推測されます。この点については今後もさらなる吟味が必要とは思います。
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最後に
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