努力の報われさせ方

「努力は報われる」と言う言い方があります。

もちろん、その努力の方向だったり、どんな状況を報われると捉えるかによって、それを正しいと感じる人も言えば、そんな事は無い、と感じる人もいるでしょう


なので「努力が報われた」と感じることが出来る、努力の仕方について考える事があります。

「報われる」=「行動が結果の達成に繋がる」と言う事だとすると、「行動の結果、確実に達成できることは何か?」と考えてみます。

逆に考えれば、他人の行動に依存することや、運に左右されることを除いたことを達成する目標にすれば、報われやすくなると考えられます。


例えば、「人から感謝される人間になる」のような目標だと、必ず報われるとは限りません。
どんなに善意で尽くしても相手の性格によっては感謝されないこともあるでしょう。

しかし、これを「相手にとって良いと感じたことを、自分の意志で行う人間になる」と言うことを目標にすれば、その行動をした時点で目標の自分になれたわけで、その時点で報われます。


同じように「試験に合格する」と言う目標に向けた努力であれば、自分よりも成績の良い人が多ければ報われないこともあります。

しかし、これを「試験に向けて、○○式の勉強法を試してみる」と言う目標にしたり、「○○式と△△式の勉強法を比較して、どちらが自分に向いているか調べてみる」などの努力にすれば、それは現実に報われる事でしょう。


何らかの大きな結果を「報われた」と定義するならば、それは努力しても報われないことがあります。

しかし、小さな範囲の試行錯誤や変化を目標にして、その積み重ねで「自分が良い方向に進んだ」と実感することを「報われた」と定義するならば、それは努力によって報われる事でしょう


こうした後者のような一歩ずつの変化を「報われた」と感じならば、それらを積み重ねた結果として、良い環境、人間関係、自分の適性などが揃った時には、大きな意味での「報われた」に繋がることがあるかもしれません
そのように、気付いたら大きな意味での「報われた」になっていた、と言うくらいが丁度良いのではないか、と感じています。

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