回遊魚は泳ぎ続ける

元々、このタイトルで書こうとしていたことは、「スピードを保って走り続けている方が、途中で止まってまた走り出す時の負担が無い分、結局は楽で自然に続けられる」と言うことでした。

例えば、マラソンで走る時に、途中で急停止させられてまた走り始めるようなサイクルだと、毎回身体に大きな負担がかかるでしょう。
しかし、走り続ける慣性を利用して、間に進み続ける勢いで続けた方が、止まり切ってしまうよりも良い方法なのではないか、と言う事です。


加えて、今回書きたい内容はもうひとつあります
それは、自分の特性や能力は、それを身に付けた時点で終わりなのではなく、周囲との相互作用で常に現実の現象として起こし続けることで保たれる、と言う事です。


例えば、楽器を弾くことがある程度できるようになったとします。
しかし、そこでぱったりと楽器の演奏をやめてしまったらどうなるでしょうか?

もちろん、能力が落ちることもあるでしょうが、まず「楽器を弾ける人」と言う現象が存在しなくなります。
正確に言えば「ある時期楽器を演奏していた人」と言う事になるでしょう。

では、実際に「楽器を弾ける人」と言うニュアンスで表現されるのは何かと言えば、「定期的に楽器を演奏する人」、つまり「楽器の演奏という現象を起こし続けている人」なのだと考えています。

料理を実際に作り続けている人が料理人であるようなイメージと同じ感覚です。


外部からのインプットがあり、自分が行動を起こし、外部にアウトプットとして影響を与える。
その「現象」が自分自身へのフィードバックされ新たなインプットになる。

そのようなやり取りが絡み合った関係性の中にあって、「現象」であり続けることが、「何かを出来る」と言う事の意味なのだと感じます。

回遊魚は泳ぎ続けていることによって、回遊魚足り得ると言うことです。

よろしければサポートをお願いいたします!