師匠のありがたさ

タイトルで言う「師匠」とは、実際に何かを習ったり学ぶ際の文字通りの「師匠」の場合もあれば、「この人みたいになりたい」と思える「心の師匠」のような場合も含んでいます。


何かの役割を求められて、未熟な自分が先輩に追い付けるように頑張る、と言うような状況であれば、その先輩達が明確な目標になる場合も多いと思います。
その場合は、その方法論や行動を、その目で見ながら学ぶ場合もあるでしょうし、質問して答えて貰う場合も、指摘を受けることが指導になる場合もあるでしょう。

こうした場合は、成長したい方向性は決まっていて、足りない部分を埋めていくために、それを既に成し遂げた人の背中を追い掛けていくような形になります。

その距離の遠さに、時に諦めたくなるような事もあるかもしれませんが、それでも、少しずつでも追いかけていく感覚は、自分の進む道標になるはずです。


それに対し、「ここから先は自分の好きなようにやっていいよ。その代わり誰もお手本はいないから」と言う状況ではどうでしょうか?

何でも選択できる大きな自由の半面、全ての選択が自分の責任となる面もあります。

まず「進む方向性すら良いのかわからない」と言う所からのスタートは、上手く行っている時の全能感と同時に、失敗している時の不安や重圧の大きさも比較にならないでしょう。


そうした時に、例えそのまま全く同じ方向性ではなくても、在り方、姿勢、取り組み方と言った抽象的な部分であっても、目標になる師匠がいることは、それだけでもかなり心の救いになるのではないか、と感じます。

将来のことはある程度「なってみないと判らない」と言う事も多く、特に対策も打てないなら、出来ることからやってしまった方が良かったりもするでしょう。
しかし、人間として心が理屈通りに働かない事もあるはずです。

そんな時に、目標となる人、自分の指針となる人がいれば、少なくとも方向性は定まります。

それが、少しずつでも動き出すための力になり、動いている内に良いサイクルが回り始める、と言う事もあるはずです。


最後は自分が動くしかないのだとしても、その良いサイクルに入るための足掛かり、もしくは背中を押してくれるありがたい存在が、「師匠」なのかもしれません。

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