ありのままの自分?質の高さと、性質・方向性

「ありのままの自分」と言う言葉で思い浮かべるのは、どんなものでしょうか?

「ありのままの自分で良い」、「ありのままの自分が好きになれない」、「ありのままの自分を認めよう」、「ありのままの自分では足りないから努力しよう」、色々な表現の中で使われる場合で具体的に想像してみます。


そうすると、同じ「ありのままの自分」と言う言葉でも、指す内容が複数あることに気付きます。

例えば、ゲームに例えてみましょう。
あるキャラクターが戦士として戦い始めたとします。最初はパラメータもレベルも低いので、周りの戦士よりも弱く、敵を倒すにも一苦労で、やられてしまうこともあります。

そんな時には、こう思うかもしれません。
「ありのままの自分じゃダメだ、もっと強くならなければ」とか、「努力で自分を変えて、ありのままの自分に自信を持てるようにしよう」など。

この時に指している「ありのままの自分」は、質の高低、能力の差、成功失敗の結果の違いなどについて語っていて、それを今のままの状態からより良く変えたい、と言う話に繋がっています。


では、そのキャラクターが成長を続けた結果、力を使った闘いに向いてたり、体力を活かしてパーティを守り、戦士としての活躍に成功していくとします。

すると、そこではこう思うことが出来るでしょう。
「ありのままの自分で良いんだ、進んできた方向は間違っていなかった」「この目標は自分の性質に合っていた、ありのままの自分を活かせる」などです。

ここでは、最初に挙げた質の高低の視点に加えて、「ありのままの自分」の指す内容として、自身の生まれ持った性質との合致、進む方向性、などを指していることに気付きます。


結果を出せるようになるまで質を高めた結果、質の高さだけで「ありのままの自分」と言う点を肯定できるだけでなく、方向性が正しかったと言う意味で「ありのままの自分」と言う線(ベクトル)も肯定できる証明になったわけです。
そして、それが結果的に「質が低かった過去の時点の自分でも、方向性は間違っていなかった」と言う気付きに繋がります。


こうして、方向性の正しさは、客観的には、それが成功した後に結果論として証明される事になります。
しかし、本人の実感で、主観的には、性質の合った正しい方向性だと感じられる事もあるはずです。

だから、そうした直感を得た時には、その時点の質の低さと言う点で自己否定してしまうのではなく、方向性としての「ありのままの自分」は正しいはずだ、と信じて進むことが出来るはずだと考えています。

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