怨嗟 - 始動の挨拶に代えて

小生は世界から見放された. この身を削り,時に死の淵に立ちながら培って来た知識・技術も,飽くなき藝術への渇望も,ルッキズムや数的価値に染まりきった現代インターネット社会においては何らの価値を成さなかったと言えよう. 

そもそも,現代インターネット社会において人気を得る条件が,知識や技術に裏打ちされた実力ではなく,外見や時の運など内面に依らないものになっていることが間違いなのである. そこに形成される人脈もまた,外見であるとか,本質的な人柄を判別しないうわべだけの取り付きやすさといった,あくまで外面的な要素に依るものである. いわばインスタントな社会が広がっているのである.
この風潮は, 実力よりも見栄えを優先する悪しきものであり, 全体的な成果物のクオリティや人間の審美眼を退化させる原因となっている,と小生は感じている. 人間がそこに込められた意味を見出さず,或いは見出せずに,パッと見の印象によって選好を決定する愚行が続けば,延いてはコンテンツと芸術を巻き込んだ大規模な凋落を招くものと危惧している.
(この理論については,別項にて詳説する.)

この現状を変えるべく, 小生は長らく奮闘して来た. しかし,小生の発出した表現物が人気を得ることはなく,少なくともインターネット社会において何らの価値を持つものになることもまたなかったのだ. 実力主義の世界で結果を残して来たはずのこの身が,全くと言っていいほど通用しない. 判断基準の大部分が見栄えに支配されており,内容にこそ意味や価値を詰め込む小生ではまるで歯が立たなかった. 小生はこのインターネット社会の現状に絶望させられた. 同時に,その矛盾を打ち破るべく,行動を起こすこととしたのだった.


さて,当所において発信される表現物のあらましは,主に

一、美的な死の追求
一、ルッキズムに支配されたコスプレ・コンテンツへのアンチテーゼ
一、それら発出した表現物に対する絶え間ない考察および解説

である. その形式は,文章または音声,写真作品,そして映像作品である.

「美的な死の追求」について
人間は生きている以上必ず死ぬ. 小生も人の形をとる以上,例外ではない. ところで,複数の宗教においては,人間の究極の欲求は死であり死こそが最上の救済である,と解釈できる. 世界を変えたいならば,人間の根源にある欲求に対して訴えかけるべきである. 従って当所では,美的な死の追求をさまざまな作品の制作を通じて行ない,時に性的な表現をも伴いながら発出していく.

「ルッキズムに支配されたコスプレ・コンテンツへのアンチテーゼ」について
小生は直近において,コスプレ・コンテンツの制作に腐心して来た. 自身の持つ経歴や知識・技術の方向性は,コスプレ・コンテンツにおいて特異な表現を実現できる要素となることを確信していたからである. 事実,ルッキズムに支配されている現状のコスプレ・コンテンツに対して一石を投じる作品の制作を,一定程度は成し遂げた. (知名度の向上という点で言えば,その結果は惨憺たるものであったが.) 容姿に長けるわけではない小生が引き続きコスプレ・コンテンツに執着するのは愚策にも思えようが,この界隈は協力者を募りやすく,内容をこそ審美する意識を植え付ける土壌として未開拓である. 従って当所では,従来の価値観とは一線を画したコスプレ・コンテンツの制作・発出によって,ルッキズムへの抵抗を期することとする.

「それら発出した表現物に対する絶え間ない考察および解説」について
俗物に目が慣れてしまった人間にとって,高度な表現を受け取り,解釈し,思考することは難しい. 従って,発出した表現物については,どこにどのような意味が込められているのか考察し,またどのような技法が用いられているのかを解説することが好ましい. 本来であればそのような考察や解説を発信側から付随させることは無粋極まりないのだが,人間を再教育するためにはある程度噛み砕いてわかりやすくする必要があるものと認識している. 従って当所では,発信した作品についての考察・解説をも行なっていく.

また,当所においては二次創作も積極的に行なっていく所存である. 小生の理念が少しでも多くの目に触れ, 理想を達成する一助となることを望むならば, 世間に対する間口は常に開いておくことが必要であると考えたためである. なお,安易なコンテンツに迎合するつもりは微塵もないことをことわっておく.


小生の理念に共感し,この腐敗した世界を共に変えたいという強い意志を持つものは,何らかの手段で小生にコンタクトを取ると良い. 小生は人気こそ得られていないが,実力主義の世界において生き延びるだけの知識・技術を有している. 自らの理想を達成するためなら,その提供は惜しまない所存である. 小生がその藝術的価値を審美し,一定の基準に達したものは,小生の一部になることが出来よう. その際,審査基準は事前に伝達し,合否にかかわらずフィードバックを行なうことを約束する.

一方,コンテンツとも呼べぬ俗物に堕ちきった人間のことは信用できない. 同様に,フォローバック目当てのフォローをはじめとした,社会交流のみを目的とした行動もまた,信ずるに値しない. 当所は聖域であり,何人にもその信教を侵されないよう,一切の惰性的な社会交流を排する所存である.


最後に,小生が何者であるかを,発信物に添える形で直截的に明かすつもりはない. これまで,積極的な自己開示および知識・技術の提供によって人間との対話を試みて来たが,その大半は徒労に終わった. つまるところ,人間は小生に対し,本質的な興味を抱かなかったのだ. 小生の持つ諸属性については,作品その他の発信の端々に立ち現れることだろう. せいぜい邪推すると良い. 小生は何者にでもなる才能と実力を秘めながら,それを見つけられない愚かな世界に存在するゆえに,未だ何者でもないのだから.

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