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「丁寧だね」と言われるたびに私は自分を責めました。


「私って急性期向いてないよね」

私がまだICUで看護師をしていた頃、同じ病院の循環器と外科と内科混合の、院内でも一番忙しい病棟で働いている私の同期が私にそう漏らした。
私と同期だから看護師歴は10年目だし、以前の病院では国立の、しかもICUで働いていたはずだ。
一人ひとりに丁寧な看護をしたいと思っている彼女は、効率が全ての目まぐるしい仕事にのまれているのを私は知っていた。日勤には7:45に出勤し、ここ5年残業がない日はない。2交代だけど終電に間に合わない日もあるからと病院の近くにアパートを借りている。
彼女が向いてないと思ったことはなかった。業務を捌いた上でできるだけベッドサイドに行っていて“看護“もやっていた。

仮に、本当にそうだったとしても、本人に向かって「急性期向いてないよ」と言ってしまえる人間は“人間に向いてない“と思う。
看護師に限らず、何かに“向いてる“とか“向いてない“というのは他人が評価できることではない。
彼女は忙しい中でもやりたい看護があって、楽しんで仕事をしている。

彼女にかけられた「急性期向いてない」という言葉の意味は、
急性期病棟にありがちな
『患者1人にかける時間が長い人は効率が悪いから急性期向きじゃない』という意味だろう。

確かに、今それに時間をかけてる場合じゃない、みたいなことは多々ある。
例えば、あと5分で緊急入院が来るって時に患者のマウスケアを始めるのはよくない。それよりもベッドの準備とかモニターをONにするとか、先にしなければいけないことがある。
急性期はこの優先順位が難しい。なにしろ突然降って湧いたように新たな対処事項が増える。いつも優先順位のパズルを組み立て続けなければならない。そしていつも後に回されるのが患者のケア、すなわち看護だ。
基準を設けるなら「命に直結しないものは後」というところか。

何年か前、ICUに入ってきた新卒の看護師さんはとても真面目で、言われたことをなんでも完璧にこなそうとしていて、とても患者さんに対して丁寧に接していた。
ただ、周りの同僚たちはその新卒の看護師さんを「ICUには向いてない」と判断した。
その結果、直接的な言葉は使わず、
「○○さんは丁寧だから」と「丁寧にやってる証拠だよ」と
丁寧の呪いをかけ始めた。
程なくして新卒の彼女は別の病棟に異動した。

その年の「1年の振り返り」という
いつも新卒が1年目を終える頃に書かされる作文に、彼女は

"「丁寧だね」と言われるたびに、「私は仕事が遅いんだ」と自分を責め続けました。丁寧であることは周りに迷惑をかけるんだと、ずっと苦しい1年でした。"と記してあった。

人間に向いてない人間の言葉で、まともな人が潰れていくのを何回も見た。


本当は何が大切なのか、考えなくてもわかるはずだ。


同僚の彼女は今も看護師を続けている。
彼女は「急性期向いてない」と言われても、やることをやり、必ずベッドサイドに行く。

「私って急性期向いてないよね。でも、私変えたいと思うんだよね。この病棟の空気とか、仕事のあり方とか。微力だけどさ」

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