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有象無象の批評家気取りが跳梁跋扈している

おはようございます.こんにちは.こんばんは.
63回目のnoteを投稿します,とろたく軍艦です.
 
昨今,有象無象の批評家気取りが跳梁跋扈しているように感じる.以前であれば,テレビに出演できるような大学の先生や政治家,コメンテーターのみが公での発言が許された人物であった.それが一転して,インターネットが発展し,SNSが発展したことにより,誰しもが公に自由に発言できる世の中になったことがその原因であろう.政策を批判し,テレビドラマを批判し,芸人のネタを批判したりと,まさに好き勝手に批判する人が多すぎる.
 
では,批判している批評家気取りの人たちには何が出来るのか.答えは簡単だ.彼ら・彼女らは何も出来ない.実際に政策を提案する政治家になったわけでもなく,テレビドラマに出演する俳優や女優,撮影するカメラマン,脚本家になったわけでもなく,舞台に上がって観客を前にオリジナルの漫才をするわけでもない.ただ安全圏から,苦心の末に形にしたものにケチを付けている人たちに過ぎない.
 
この世の中に「完璧」なものは存在しない (「完璧」であることは,「完璧」であるという欠陥を内包するので「完璧」にはなり得ない).つまり,後出しジャンケンの如く,政策やテレビドラマ,芸人のネタに文句を言うの実は大して難しくない.何しろ,小さな欠陥をあげつらうだけで良いのだから.
 
例えば,政策は,より多くの国民をより幸せにするためのものだが,日本に1億人以上の人がいることを考えると,政策一つで国民を一人も取りこぼすことなく幸せにすることなど限りなく不可能に近いだろう.当然ながら少数派を切り捨てるのが正しいと主張したいのではない.少数派のための政策を掲げることも大切だが,それで多数派がないがしろにされて良いはずはないという話だ.
 
評論家気取りの人たちと,不完全ではあるが,未だこの世界にない像をこの世界に現出させている人たち (政治家や演者,芸人など) ではどちらが大切なのか.比べるまでもなく後者であろう.前者に任せていてもこの世界は何一つ良くはならない.自分の信念をもって,アイディアを実現させる.微調整は欠かせないが,舵取りが出来るのは最初に実現させた人であろう.
 
繰り返すが,批評家になるのは実に簡単である.そして,相手が有名であればあるほど,批判したときに,鬼の首を取ったような気持ちになるに違いない.だが,忘れないでほしい.批評家はこの世界を良くする方にはほとんど寄与してないのだということを.

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