人間ってめんどくさい。
「心配」は時に、毒になると思う。
うつになって、
親には心配をたくさんかけた。
離れた土地で、音信不通。
でもそこからどうにか戻ってきた。
ちゃんと働いてる。
でも、心配される。
私は親には特に、本音を話すことが難しい。
本音を話そうとすると涙が込み上げてくる。
なんてことない会話でも、電話でも
緊張、不安、恐怖、色んな感情が混ざり合って
結果、涙が流れてくる。
心配されるのは、とても有難いこと。
それは百も承知。
でも、心配のあまり、
あれもこれもと質問攻めにされると、ほんの少しだけ
「あぁ、私ってこんなことも出来ないと思われてるんだ。少し、悲しいな。」
「私ってそこまで無責任な人ではないと思ってたんだけどな。」
と、思う時がある。
大前提、自分のことを一切話さない、報告しない私が1番悪い。自分を棚に上げて話しているのもわかっている。
けれど、その自分も含めて、
まだ前に進めていないんだな、なんて思ったりする。
今、一緒に住んでいる叔父と叔母。
家に帰って、「ただいま」と言い、
叔母が「おかえり」と言ってくれる。
そして、飼っている猫が廊下に脱走する。
その猫と廊下で遊んだ後、また部屋に戻る。
すると、叔父が「ちゃんとただいまと言いなさい。」と話してくる。
私は何も言い返すことなく、
ただ「わかった、ごめんね。」と謝る。
今回は叔母が、さっきちゃんと言ってたよと
話してくれたから叔父もごめんねと言ってくれた。
けれど、私は自分から(親、親族は特に)何かを言うことがとにかく苦手。
苦手というか、口答えしているように聞こえるのと、あちらの考えている事象を変えるのが難しいと知っているから、何も言わないようになってしまった。
ただいまと、私はいつも言っているけれど、
返してくれる時と返してくれない時はある。
その時は、
私、何かしたかな、とか
あちらの機嫌が悪いのかな、とか
また何か言われるのかな、とか
いらんことを無数に考えているなんて、
思ってもいないだろうなと、一瞬だけモヤッとした感情が込み上げてくるが、光より速いスピードで通り過ぎていく。
そんなことを言っても、誰にも得にならない。
人間誰しも、痛いところは付かれたくないもの。
たとえ、少しだけ自分の意見を言ったとしても、
最終的に折れるのはいつだって私だ。
私がほんの少しだけ我慢をすれば、
無駄な労力を使わず、無駄な期待を抱くこともなく
0.100の立場を作れるから相手にとっても都合が良い。
と、思っている自分がやばいのだと気づいたのは
つい最近だ。
残念ながら「我慢」というのは、
私が無意識に行っている超絶得意なことらしい。
あらら、話が二転三転してしまった。
そう、心配は行き過ぎると、毒になるよって話。
でも、心配されなかったらされなかったで、
またここで文句を言っているのかも。
人間ってめんどくさい。
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