見出し画像

20代。あえて時間をかけてみよう。

何も予定のない日曜日。
植物の植え替えとベランダの掃除から1日が始まる。新芽、花の蕾、根の張り方、1つ1つを丁寧に見てあげる。
植物をお世話をする時間が、私はすごく好き。

好きが嵩じて30個以上の植物を育てていた時期もあったけれど、今は10個。
野菜、観葉植物、お花。10個くらいが、今の私には丁度いい。

一通り掃除が終わったら、お気に入りのクッキーのレシピ本を本棚から引っ張り出し、紅茶のアイスボックスクッキーを作る。
バターは溶かさないこと。しっかり乳化させること。練らずに切るように混ぜること。

1つ1つの工程を丁寧に進めることで、サクッと、ホロッと、滑らかな食感に出来上がる。ポイントを押さえて作るとちゃんと美味しくなってくれるお菓子作りは、理科の実験的要素があって面白い。


さて、前置きはこれくらいにして、ここからが本題。

今思えば、私の日記の端々に”好き”という言葉が沢山出てくるのは、どうしてそれが好きなのか理由が明確だからだと思う。
それをすることによって得られる気持ち、未来をわかっているから、時間をかけるメリットを充分に理解して選択しているのだと思う。

なくてもいいもの。自分でやらなくてもいいもの。
誰かに聞けばわかるもの。世の中はそんなことで溢れている。

丁度いいを見つけるのには、やっぱり自分でなんでもやってみるといい。
好きなもの、嫌いなものを見つけるのには、それもやっぱり自分でやってみるといい。

1日は誰でも同じ24時間だし、自分が選択した全てを詰め込もうとしたら
全然時間が足りない。やりたいことをできるようにするためには、物事の取捨選択は必須だし、時短になる文明機器を取り入れることには大いに賛成だ。

だけど、自分の価値観に向き合ってこその時短。何でもかんでも時間を省いて、最短ルートを行こうとするのは、却ってまわり道に成りかねない。

なんでも自分の好きなもの、嫌いなもの、やってみたいこと、知りたいこと、、
わからなくて困っている人、とくに20代で悩んでいる人は結構いるんじゃないかと思う。時間をかけること自体が怖いと思っていたり、無駄なんじゃないかと思う人、自分の存在意義がわからないと悩む人もいるだろう。それはまさしく20代の私だから。

やってみることで納得できるし、やりたい、やりたくないがわかる。
やってみることに時間をかけるのは決して無駄じゃない。

私はパティシエになりたくてお菓子の勉強をした。服が好きで、アパレルで働いた。
暮らしの原点である家が好きで、今はインテリアに関わる事を生業にしている。

なんの繋がりもないように見えるけれど、食、衣、住の全てをやってみて、暮らしそのものが好きなことがわかった。
管理職も経験して、リーダー的存在ではなく、縁の下の力持ち的な、近所の親切な人くらいの立ち位置が性に合っていることがわかった。
0から1を作り出すような、ものづくりがしたいという自分の気持ちに触れた。
共通しているのは、私が仕事をする意味は、目の前の人に喜んでもらうこと。

30歳になった今、決して今までのその時間は無駄じゃなかったと思えている。
むしろ、今までは準備運動で、30歳からが本番っていう感じにすら思える。

どこの誰かはわからないけれど、たまたまこのつたない日記を読んでくれた人が、
ほんの少しでも自信を持てたり、明るい気持ちになってくれたらいいなと
背中を押せたらなと思って、こんな暑苦しい文章を書いてみた。
うん、、我ながらうざいくらいの熱量。でも、この暑苦しさが私。

そんな自分も、愛してあげられたらなぁと思っている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?