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豪と日本の出産の違いについて物思う(日本編)

前置き1:
あくまでも個人の限られた経験による感想
さらに言うなら、帝王切開ネタなので役に立たない人のほうが多いかも
どちらが良い・悪いという批判をするつもりはありません

前置き2:
長女→2015年5月に日本で出産。市民病院
次女→2016年12月まで日本の私立病院に通院、2017年3月にシドニーで出産。
私→バリバリ超高齢出産(長女出産時は40歳になったばかり。次女出産時は41歳)

【日本編】

☆通院~出産前
・毎回内診がある。
・体重制限が本当に厳しい。私は長女も次女の時も食べ悪阻(食べないと吐きそうになる)だったので、結構太ってしまいチクチク言われる。

(長女のみ)
・妊娠がわかり、近所の産婦人科ではお産までやっていない&高齢のリスク妊婦だったので総合病院である市民病院を紹介される
・後期になると内診時に内診グリグリ(卵膜剥離)があったのが辛かった・・

(長女・次女)
・中期くらいまで決まった担当の先生はおらず、予約日に担当する先生に診てもらう

☆出産時
40週、予定日当日の夜に陣痛発生して病院へ。ただし子宮口があまり開かず、陣痛も治まってしまったので翌朝退院(笑)歩いて自宅まで帰る。ちなみにこの余計な1日はバッチリ入院費用として請求される・・
その夜また陣痛が発生し、再度病院へ。病院に行くと6人くらいの陣痛室に通される。携帯や入院荷物は看護師に預けられ、陣痛室では使えない。
結局そこから約1日半陣痛と戦い、それでも子宮口が開かない&胎児の心拍数が下がってきたので、到着医師判断で緊急帝王切開となる。ここで問題が。
緊急帝王切開も手術なので近親者の同意を得ないといけない。病院から主人に電話するも、英語を話せる人がまともにおらず、会話が進まない状況だったため、特例で私が病院のPHSを借りて主人に書類にサインしてもらう為に病院まで来てもらうよう伝える羽目に。
陣痛真っ盛りのなか、痛みに耐えながら来てもらいたい旨を英語で説明したのは、今でも忘れられない思い出。

・陣痛逃がしのテニスボールは効かなかった(笑)
・とにかく陣痛室は孤独!痛いし赤ちゃん出てこないしトイレ行くたびに痛みで気絶しそうになるし、泣きそうになる。
・麻酔注射、陣痛で体が震える中で体を押さえられ脊髄注射。「動かないでくださいねー」という看護師さんの言葉に震える。幸いなことに脊髄注射の痛みは陣痛の痛みで上書きされたた(笑)
・3200グラムので出産。とても平均的。

☆入院
(長女のみ)
・約8日間
・母子別室。市民病院の施設が母子別室しかなかったので。母子同室の病院もたくさんあるはず。
・帝王切開でまともに背が伸ばせないなか、点滴スタンドを杖に30メートルほど離れた新生児室まで行き、母乳を与える事が本当に本当に苦痛・・・。
・母乳が出ない体質だったので、追いミルクは必須。リクエストすれば出してくれた。
※母乳について。私は何があろうと体質だと言い切る。後述するが、頑張れば出るというものでは無いと思う。頑張って鬱になるくらいなら完ミでよろしい!というのが私の意見。そこはオバサンならではの強さで鬱にはなりませんよ?
・入院時、いかんせん寝たい!と感じ、看護師さんに1日だけ預けました。「早く迎えに来てくださいねー」というコメントが忘れられない。
・同室の中国人ママが私よりツワモノでウケた。看護師さんに「面倒見てー」と堂々と言っていた。強い。
・年配の看護師さんは出産時は優しかったけど、入院時は何故かスパルタにトランスフォーメーション。「母乳が出ないんです・・」という私の言葉に、「もっと頑張りましょう」の一言で会話終了。
・でも人によっては優しかった。ウンチとおしっこ出てるから大丈夫!と笑顔で言われた時は、新人BBAママ泣きそうになる。

☆入院費用
日本移住時に医療保険に入っていた&帝王切開だったので、入院費が戻ってきた。ほぼ自己負担なし。全然違う目的で入っていたけど、入っておいて良かった。

☆病院食
市民病院でしたので推して知るべし(笑) 子供の頃に盲腸で入院したことがあるけど、その時とほぼ変わらない食事である意味感動。
次女の時に私立にしたのは食が理由でもある(笑)

☆退院後
(長女のみ)
・退院後、友人に紹介してもらった助産師さんに母乳指導してもらう。そこで無理は無理(母乳が出ない人は出ないんだよ・・)の結論に至る。
・助産師さんは「あなたは出来ることは全てやったので、頑張らなかったとは言わないよ?」と言ってくれ、すごく救われた。寝ないで搾乳、本当につらかった。ミルクに変えてから精神的にすごく軽くなる。
・結局5か月は混合、その後はミルク(完ミ)
・体重が成長線ギリギリだったので病院のほうで色々心配される。10か月くらいまで、1か月に1回問診を受けなければならなかった。血液検査も受けた。今思うと、次女も成長曲線から離れており、単に細い家系だったのだΣ(・□・;)

☆感想
一言で言うなら、日本の出産は「痛みに耐えてこそ」・・・。陣痛の痛みに耐える。手術前処置の痛みに耐える。帝王切開後の痛みに耐える。母乳育児の痛みに耐える。
当時はそれが当たり前なんだろうな、という印象だったのが、次女出産時にはシドニーに戻っていたので、そこで認識が違う事を思い知らされる・・・。

シドニー編に続く。

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