見出し画像

根底にある悪

人と関わると内面性を見て軽蔑することが多い。この気持ちを持つ自分に非があるんじゃないかという気持ちと、その人への懐疑心が高まり、Googleに聞いてみる。
孤独なので頼れるのがGoogleしかいない。

そしたらyahoo知恵袋に同じような質問があり、加藤諦三さんの著書はネガティブな人間関係に対して言及してるよ!と回答者が言ってたのでそれを鵜呑みにしてKindleに入れた。
「めんどくさい人の心理」というタイトル。
yahoo知恵袋、無知を罵る回答者しかいないのかと思ってたけど、それは偏見だとわかった。

読み進めるとサクサク理解できる文章だ。専門知識もいらないし、言葉が軽い。まるでその人が話しているのをそのまま文字にしたような即興性があり、その脈略のなさがむしろわかりにくくもある。
鋭い視点でどんどんあいつは悪い!こいつも悪いと指差して、母親、父親、息子、息子の嫁、義理の姉、義母、花子、出てくる皆を悪者にしてしまう。こんなに悪い人いないだろうと呆れるくらいに欲深く、ずる賢い犯罪じみた卑怯な手口を使う奴らばかりだ。
こんなの現実にいる〜?と笑ってしまうくらいだった。

しかし、そんなスカッとジャパンに登場するような誇張された悪者が段々身近に感じてくる。
表面上は良い人ぶった態度や言葉を使い、自分の評価を上げるための振る舞いをすることなんて、私が場を乱さないように穏便に関わるところそのものだ。
私はそれを正しいと思っていたが、こうも捉え方一つで変わるものか。

思い返せば、私は良い関係を築ける自分に酔っていただけかも知れない。

根本が良い人でないため継続的に良い人ぶれなくて、それを自分のグレーゾーン的な素地のせいにした。
著者はそういうのに対しても批判的で臨床心理学者エリスの「神経症者とつきあうには」から引用して「ほとんどの神経症者は、愛されたいと言う過度な欲望の持ち主であるが、愛する気持ちはあまりない」「彼らは、たえず自分や自分の問題で頭がいっぱいだから、人の面倒を見るだけの時間やエネルギーもないし、そうする気持ちもない」
と綴る。
ぐうの音も出ない事実を突きつけてくるな。

私は人と関わることにおいて、いかに向き合わず、貰えるだけ貰って見ないふりをしていたか気づいた。

友人と旅行に行った帰路、さみしそうにしていたから一緒に帰れば良かったのに、停車駅から自宅までの歩く距離を考えて、別のバスで帰ったこと。

そのあと友人が余韻に浸っていた、と話してくれた時、大した返事をしなかったこと。

展示に来てくれたのに、要所で気遣いが足らず、待たせることが多かったこと。
その後のご飯を奢ったのもなんかこれ見よがしで嫌だっただろうなということ。

これを読んで、ネガティブな話題を共感することによって嫌な感情を増幅させてたのかもしれないと気づけた。

別の友人にも同じ態度で、会社を辞めたい友人を肯定した。私は何の責任もないから簡単に言える。それで肯定してあげて、相手を喜ばす。それでいざ職業がなくなった時、友人の不安をまた肯定して、助長させた。

気づいたらやっぱり私はこの本にそっくりそのまま出てくる悪者側の人間で、人を攻撃せずに傷つけてばかりだと気づいた。
攻撃しないから罪悪感もなく忘れることができる。

コミュニケーションの方法を変えなければならない。悩みなんて聞き出しても良い結果を生まないし、もっと将来的な話をしようと思う。
そうか、発散になるようなのも良いかも知れない。

よし、また友人を遊びに誘おう。
会社でうまく行ってないなら、物を全部壊せるレジャー施設に行っても良い。
そうだ!彼女が行きたがってた台湾料理の店なんかどうだろう?
そこで長期休みにどこ行くか考えても良いな。

そうして私は先程LINEを送信する。

「〇〇!元気かー!
今度地元に帰るから会いたいよー!」

時刻は深夜12時。
まだ今週始まったばかりの月曜日か!
気楽な学生の身分だから、曜日感覚が全然ない。
社会人の彼女にとってなんて、嫌な、タイミング...

あぁ、また失敗か


人は悪意なく人を傷つけ、それ自体が最大の悪なのかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?