【短歌一首】 秒針の刻み聞ゆる居間の梁きしめば吾の一人を知りつ
短歌はマインドフルネス・セラピー。
こんにちは。 統合カウンセラーの猫間英介です。
たまに時計の秒針の音が妙に聞こえてくるときがある。それまで全然意識してしないのに、急に聞こえてくる。
そういうときは、大体、午前中が多い。季節的には、春先だったり、秋の入口だったり、寒さや暑さの激しい季節が終わった後の風や雨のない曇りや晴れの日。そして街全体もみょうに静かだな、と感じる日。
気持ちはハイでもローでもなく、ニュートラルな感じ。頭で何か考えていたり、何かに気持ちが動いていることもなく、どこかボケ〜っと安穏としているとき。おそらく、思考や感情に囚われていることがなく、五感で外の世界をただ感じているとき。
これはカウンセリングの世界でもよくいうところの「マインドフルネス」の状態なのかもしれない。思考にも感情にも流されることなく、今、ここで、この瞬間の中にただ身を置いている感じ。 マインドフルネス療法の中でも、「音」をひたすら追いかけて聴いてみる療法がある。 心と体を静かに置いて、聞こえてくる様々な音、大きな音から小さな音まで、音と音との間の静けさまでも、それらを考えたり評価したりすることなく、ただ聴いていく。
こういう日には普段意識していないいろいろな音が聴こえてくる。
子供の頃からドキッとするのは、家に一人でいるときに、家の中が不思議なくらい静かで、そういうときに突然、柱や壁の梁(はり)がピシッとか、グィシッ、グゥワシッとか鳴ること。そういうときはちょっと怖くも感じるが、家や柱や壁に命が宿っているように感じる。
そういえば、マインドフルネスに大きな影響を与えた仏教の「禅」では、坐禅を極めると、離れたところにある線香の燃えかすが落ちる音も聴こえるらしい。(本当かな?)
鎌倉の円覚寺(臨済宗)や鶴見の總持寺(曹洞宗)など禅宗のお寺や家で坐禅を組むことがあるけど、いつも雑念が湧き出てくるし、組んだ足は痺れて痛いし、なかなかそのような境地には到達できそうにありません。
(お寺の坐禅では、僧侶が警策(けいさく、きょうさく)という坐禅のときに坐禅者の肩を打つのに用いる平べったい棒状の板を持って見回りをする。この時の僧侶の気配の消し方はすごい。どんなに注意を払っていても、いつの間にか背後を取られている。その注意自体が雑念そのもの〜)
猫間 英介
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