仕事で泣いた。
金曜日、1つの仕様の話で設計の上司と営業の上司の間を4往復しました。
なぜか分からないけれど、涙が出てきて一人で食堂で泣きました。
「モヤモヤ」
これが今分かる唯一の感情です。
私:設計部に確認したのですが、○○という仕様は○○という理由で出来ないみたいです。
営業部の上司:え?どういうこと?こうやってやったらできるやろ?この案だけじゃないと思うけど、できんことはないやろ。それを考えるのが設計や。ちゃんと聞いて来いよ。
私:こうこうこういう風にしたらできるのではないでしょうか、、、?どうにか検討できませんかね、、、?
設計部の上司:は?何言うとんじゃ?だーかーら、無理ってさっきから言ってんだろ。おめえ、○○ってどうやっとるか知っとんか?おめえ、そんなこともわかってねえで聞きにくんじゃねえよ。装置見てから聞きに来いよ。迷惑やわ。どっか行ってくれ。
営業部の上司と話した時には、たしかに実現可能な手法だと思いました。
だけど、設計部の上司には、すぐに否定されました。
頭の中は混乱していました。
どういうこと??
あーもう、意味わからん。
なんでこんな酷い言い方をされなきゃいけないんやろ。
まあ、確かに俺の理解がまだまだ足りていなかったところもあるしな。
工場に装置見に行ってからまた考えるか。
設計部の上司の言葉を聞きながら、そんなことを考えていました。
設計部を後にし、歩いていたらなぜか目に涙が溢れてきました。
これじゃ営業部にもどれねえやと思って、誰もいない食堂で涙を拭き、顔洗いました。
おそらく、びっくりしたから涙が出たのだと思います。
ただでさえ不愛想で有名な上司だから、声をかけるだけでも毎回緊張しますし、疲弊もしています。その上に、これまでの人生で言われたことがないようなきつめの口調で畳みかけられたので、身の危険を感じたのかもしれません。
それと同時に、明確な根拠もなく、はなから無理ってどうなんだろ。
それってお客様の為じゃなくない?と思いました。
設計の上司はこれまで培ってきた経験を用いて、話を聞くだけで実現不可能と判断できるのかもしれません。
ただ、それは本当にできないのでしょうか?
実現不可能であるなら、正当な理由を説明してくれよ!と叫びたかったです。
私は誰かの顔色を伺いながら生きることに対して恐怖とストレスを感じます。
この原体験は父にあります。
強面の父は、真顔だととても怖く、怒っているのか?と思うこともしばしばありました。また、不機嫌になったときのも分かりやすく言動に表れるので、幼少期はそれが怖かったです。頻繁に「父ちゃん怒ってるの?」と母に尋ねていたのを今でも覚えています。(怒ってないよと母が返答するまでがお決まりのパターンでした。笑)
ちなみに、私は父のことが大好きです。
人一倍家族思いで、授業参観は皆勤賞。たまに厳しいことも言われるけど、論理的で的を射た指摘をいつもしてくれます。自分が考えつかない角度からのアドバイスに何度も助けられました。
あと、加齢臭とかは一切せず、イケおじの一種に入っているのでは?と密かに思っています。もうちょっと痩せたら完璧ですけど、笑
今は、上司の顔色を伺いながら仕事をしなけらばならない職場の不快さに居心地の悪さを感じている状態です。
どうしようかと考えていると、YouTubeでこんな動画を見つけました。
私が今感じている不快感はコンフォートゾーンを飛び出しているからであり、これを乗り越えたら前進するのかもしれないと思いました。
ただ、自分の理想の状態に繋がる推移と、ただやる気を削ぐだけの逸脱があるように思えます。
もしかしたら、コンフォートゾーンが拡大したら、いつか夢や目標の状態まで到達するかも?という考えもあるかもしれません。
下参照。
いずれにしろ、こんな顔色を窺って疲弊する毎日を居心地が良いとか慣れたとは言いたくないなあという気持ちです。慣れる前に心が折れると思いますが、、、。
正しい方向に進んでいるのか?
望む方向に進んでいるのか?
モヤモヤしています。
居心地が悪い、不快だ。
そう思った時は、コンフォートゾーンから出ているから成長している!と安易に考えるのではなく、どの方向に進んでいるのかを考えるようにしてみます。
ちなみに、仕様の件は、設計の上司がなぜ不可能と言うのかを確かめるべく、工場で装置を見て、製造部の方に教えていただきました。
そして、どうにか実現できないのか、相談にものってくれました。
感謝。
追記
もしかしたら、スキル・知識不足という面もあるかもしれないなあと思いました。
まあ、これまでの人生で顔色を伺いながら生きていくのをどうにかしようとしたことは何回もありますが、克服できていません、、、。
心がざわざわしてきたので、一旦寝ます。
いつも読んでくださりありがとうございます!