アンネ・フランクよ、永遠に

 『アンネの日記』の豊かな内容は、書き手の年齢を忘れさせるほどだ。その一方で、やはり十代らしい未熟さも見受けられる。また他者との軋轢、とくに家族との関係に注目すると、一つの家庭の物語として読むこともできる。母親との不和、姉へのコンプレックス、慕っている父親の切ない過去、隠れ家で同居する少年との恋模様など、語り始めれば尽きることはない。
 しかしながら最も忘れがたいのは、最後の日記のあとの余白である。隠れ家が暴かれ、連行されたために中断し、空白のまま永遠に再開しない日記。それまでは、あんなに生き生きと書き綴られていたというのに。
 アンネたちを密告したのは誰なのか、それは今もなお藪の中だ。疑わしい人物として名前が挙がる男性はいる。『日記』を読むと、たしかにそう思えてくる。だが実は彼もまた、自宅にユダヤ人を匿っていたということを、赤染晶子さんの『乙女の密告』を読んで知った。
 だからといって、彼がアンネたちを密告していないことにならない。ここで重要なのは、我々がいかに猜疑心に囚われやすいか、ということだ。なぜ我々は根拠もなしに人を疑ってしまうのか、歴史の教訓もむなしく。

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