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【インナーチャイルドと向き合う】“しっかり者”の苦しみ 2/2 はじめて自己主張したときのこと

大人に褒められることがアイデンティティだった幼少期。そのまま優等生としてやってきた弊害で、頼られると断われない性格を拗らせた小学生時代。

転機は中学3年生。最後の合唱コンクール。
小学生から毎年のように合唱のピアノ伴奏を引き受けてきた。ピアノは5歳から習い続けたが練習嫌いなので上達しなかった。譜面が辛うじて読める程度のつたない技術で、コンクール前には放課後も休日も必死に練習してやり遂げてきた。ただ、中3の時のクラスには小学校時代に他校で伴奏をしていた子がわたしの他に何人かいた。それを考慮する余地すらなく伴奏といえばべほちゃん、とまた矛先が向きそうになっていた。

学級会でわたしは初めて断った。毎年弾いてきたので最後くらい自分も歌いたいし、他にも弾ける子が居るからです、と理由もつけた。わたしが渋ったせいで曲決めが難航した。

後日担任に呼ばれ、なんとか引き受けてほしいと打診されたが受験勉強もあるので課外で練習時間を割くことは難しいと断った。実際ピアノの習い事は前年に辞めていて、伴奏練習だけのために自宅でピアノに向かうのは面倒だった。大人同士あれば、そこをなんとか!報酬をはずむから!という交渉ができるのだが、合唱の伴奏に対価など生じず、正直なところクラスメイトたちから感謝されているかどうかも疑問だった。やりたくてやっていると思われているのも不服だった。すると、音楽の教科担任にも呼ばれた。あなたが弾いてくれることでみんなが助かるのと説得されたけれど、泣いて断った。やりたくないんです。誰も弾かないならアカペラ曲にしてください。すでに他のクラスでアカペラをやることが決まっていたので、学年に2クラス無伴奏曲があったらバランスが悪いのだろうか、狭い音楽準備室のアップライトピアノの前で重苦しい一対一の時間が流れた。

最終的に伴奏者が決まらないのでアカペラ曲になった。曲決めに時間がかかったせいで練習時間も削られ、クオリティも上がらなかった。

ざまあみろと思っていた。
みんなみんな困ればいい。

この一件で卒業まで担任にもなにかと気を使われ、面倒は頼まれなくなった。しっかり者の十字架を降ろせた。高校は地域の進学校に進んだので、しっかり者として育ってきた人たちの集団(しかも私のように途中で拗らせていない人たち)の中で、底辺付近を漂っていればいいのは心地が良かった。他から評価されるかどうかではなく、自分自身が主体性を持って取り組めることに一生懸命になれた。

こんなエピソードは忘却の彼方に霞んでいたのだけど、母親になり育児に躓いたときにふっとフラッシュバックした。わたし、またちゃんとやろうとしてた。子どものためにいいしっかり者のお母さんをやろうとして八方塞がりになっていた。誰かのためにじゃなくて、自分の為に、自分が好きと思えるお母さんでいなさいと、中学生のわたしが教えてくれる。

#インナーチャイルド

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