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よく分からないことをよく分からないまま続けたら、いつか分かるようになる『日日是好日』

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

やあ、僕だよ。
これはマザーテレサの言葉だけれど、この言葉を初めて知ったのは社会人になってからだったな。
その時勤めてた会社だと、朝礼でこの言葉を短縮したものを唱和してたんだよね。

僕は効率厨のわりに唱和が結構好きなんだ。
最初はそれこそ「意味があるのかな?」って思ってたけれど、しばらくしてから「誰かに自分の声を届ける前に会社のお金を使って練習が出来るのだから、これって得してるのかも」って思えるようになったんだ。

さて、こちらの映画もよく分からないまま同じことを繰り返すことがテーマの一つになってる。
あまり見ない邦画作品だけれど、僕なりにくみ取ったものを書いていくね。
さあ、今日も始めようか。君が楽しんでくれると嬉しいな。

映画あらすじと感想

『日日是好日』大森立嗣
アマプラで視聴。
ひょんなことから茶道を習うことになった二十歳の「典子」。従姉の「美智子」と共に茶道に四苦八苦しながら、季節を何度も巡る内、動作の意味は分からないのに体が動くようになる。
そうして茶道をずっと続けていく「典子」。時代は目まぐるしく変わるが、茶道の習慣だけは変わらず、いつの間にか二十四年経っていた。

そんな話である。
茶道の「武田先生」が「とにかくそうする」と動作の理由も教えず、茶道の作法を二人に教える様子は厳しくもあり、どこかゆるく、「そんなものなのよ」の納得感が凄まじい。

僕は邦画があまり得意ではない
シナリオの起伏がほとんどなく、画面の正しい美しさを求める姿勢は時に窮屈に感じてしまうからだと思う。
この映画も正直なところ途中で見るのをやめようと思ったが、主演の黒木華始め、樹木希林や多部未華子の、時代を超えた人物の演じ分けが素晴らしかったので完走出来た。

一つ違和感があったのが「今日、やっぱりお稽古サボります」と「典子」が電話で「武田先生」に伝えるシーン。
アルバイトとは言え、文章を書く仕事をし、かつ長年自ら師事している「武田先生」に対して、このキャラクターが「サボります」なんて言葉遣いするだろうか、と思って少し調べたらこの映画、原作はエッセイだそうだ。

今も教訓にしているのが、「格好よく書こうとしないこと」「うそは書かないこと」の2点だ。

とのことなので、「うそは書かない」ために実際の言葉遣いを採用したおかげであのセリフだったわけだ(多分)。

なお、この映画は茶道をやり続けた「典子」の映画だと言ったが、一九九三年から二〇〇七年までのそれぞれの女の人生を追った映画でもある。
変わるもの、変わらないもの、小さいものに振り回されてしまう君だからこそ、刺さるかもしれない一本だ。

今、見えているものだけに集中する難しさ

僕は仕事になると、言われたことを素直すぎるくらいに実践する
別に嫌だと思ったことはない。
「いいように使われてるよ」と教えてくれる人もいたが、いいように使われていて何が悪いのか理解できないのでいつも笑ってごまかしていた。

具体的な指示があれば、僕はそれ通りに行動する。
もしプロセスが自由で目標達成が指示であれば、何が何でも目標を達成する。
ただ、それだけのシンプルな話だ。

だから仕事において、集中を欠くことはほとんどない。
どこへ行ったって結局は「会社の利益を出す」という明確さが僕に合っているのだと思う。

こと仕事以外に目を移すと、正解の分からないものがたくさんあり、そんな時僕は途方に暮れるばかりだ。

今この瞬間、僕は何を「する」べきなのだろう。
この先の人生で何を「持つ」べきなのだろう。

人生には明確な目標がない
「自分は何のために生まれてきたのか」までは行かなくとも、自分の好きなことが何か分からないまま、余暇をなんとなく過ごす経験は僕だけのものでないはずだ。

そんな時、「余計なことを考えずに目の前のことだけ集中しろ」なんて言われたりするけれど、ちっとも集中なんて出来やしなかった。

たまには腑に落ちないこともやってみる

ようやく最近になって、理屈の分からないものを仕事外でも飲み込めるようになってきた。

元々仕事上で飲み込めていたのは、僕の中で「仕事は嫌なもの」と早々に割り切っていたから、本来は苦痛に感じる行動も無視出来ていたのだ。
そうしてよく分からないままやっている内、何となく意味を見出せるようになっていた。前述した朝礼の唱和が分かりやすい例だ。

私生活でもそうだ。
かなりの数の事柄は腑に落ちずとも、何となくやっていたら勝手に意味を見出すものなのだ。

変に余白があるものだから、僕はいつも遠回りしている。それこそ考えるだけ無駄なことばかり、かかずらわっている。

僕の夫はそこのところ、上手いバランスで生きていて羨ましい

彼の人生哲学は概ね刹那的で、それこそ「今」をすごく大切にしている。
明日死ぬとしても今日と同じように彼は過ごすのだろう。

僕なら絶対に慌てるし、成せなかったことを数えて絶望する

もちろん、彼が思考停止で何もかも疑問を持たず、ただぼーっと過ごしているということではない。
ただ、考えようが準備しようが仕方のない事柄はとりあえず頭の外に出し、やるべきことを終えたら今の自分が気持ちの良いことをするだけなのだ。

実にリアリスト。
人生何週目なんだこいつ。

「そんなものだよ」と夫に言われたら、ほとんどの事柄を僕は受け入れてしまうので、彼は僕にとっての「武田先生」なのかもしれないな。

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