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主体性の取り戻し方

    保守派の人はやたらと戦前と戦後の「断絶」ないし「切断」を意識化されることで、主体性を取り戻そうとしてる。しかし、それでは失敗してしまうのではないだろうか。というのは、「切断」を意識化して主体性を取り戻すのは正直マッチョイズムまるだしであって、これについていける人は極少数に限られているからだ。それよりは戦前に生きていた人たちと戦後に生きている人たちに両者共通する物語を発見し、それを掘り起こすことこそ必要なのではないだろうか。
   例えば、NHKのファミリーヒストリーはひとつのヒントになる。あの番組では家族の物語から戦前と戦後の「接続」を見ることができる。毎回、さまざまなゲストが呼ばれ、家族の物語を歴史的に遡求していく。そのなかで、ゲスト自身の生き方と家族の歴史、そして日本の歴史を結び合わせる作業が展開し、深い感慨と感動を与えられる。
    そこにあるのは決して「切断」ではなく「接続」だ。このようなあり方でしか、本来主体性を取り戻すことなどできないのではないか。もちろん、保守派は家族や友人の交流によって、アイデンティティの喪失から脱却を図ろうとしている。しかし、あくまでもそれは戦前と戦後の「切断」を意識化させることをスタート地点にしてる。そういう意味で、やっぱりマッチョイズムにすぎない。

    まだ、粗削りではあるが、「接続」から主体性を取り戻す回路を考えている。まぁ、言っちゃ悪いけど、下記の動画を見て、あー保守派ってやっぱり駄目だなという思いを強くした。

https://youtu.be/YL2QCJyWS8w

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