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名前由来を調べてみた | 美しい生き方をたおやかに伸びやかに求めていくこと

先日参加したオンラインイベントをきっかけに、コピーライターの阿部広太郎さんの著書『それ、勝手なきめつけかもよ?』を読みました。

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まだ読み途中なのですが、第一章から心を掴まれています。

ここで、広太郎さんの「言葉の企画」という連続講座でやる「名前紹介」という課題が紹介されていたので、私も読み進める前に調べてみたくなり、さっそくやってみました。

すると思いも寄らない発見ができ、この想いを書き残したくなりました。私の自己紹介記事だと思って、読んでもらえたら嬉しいです。


何万回も書いてきた、自分の名前と向き合う

自らの嗜好やこれまでの経歴などからすることの多い「自己紹介」とも違う「名前紹介」。なぜこの名前になったのか?をインタビューしたり、語源や由来を調べてみる。そして自分がその名前に対して、どんな意志を見いだしていけるのか?

書籍から引用させていただきました。

最初に取り組みたいのは、一番大きな当たり前。「自分の名前」の解釈からはじめたい。
世の中にあふれる「そういうものだから」のリーダーと言っても過言ではないかもしれない。記号みたいに刻まれていて、切っても切れない自分と一体化している存在。
ずっと付き合ってきた自分の名前から解釈をはじめよう。

そう。「いつもそういうものだから」とスルーをしがちな事象を見つめ直し、「自らの解釈」をすることで見える景色も、気持ちも、行動も変わる。それをまずは「自分の名前」で。

言われてみれば、ホントもう何万回と書いてきたか分からない、いつもそばにいる「自分の名前」。小学校のときにサラッと由来を聞いたのもも、それで済ませていたし、名前に自分の解釈をという考えすら浮かんだこともない。私の名前の解釈の旅が始まりました。


名前の成り立ち探しでの驚き

私の名前は「みゆき」、漢字にすると「美由紀」です。

名付けてくれたのは私のばあちゃん。私は1月11日生まれで、その日は記録的な大雪が降ったそう。なので、最初は美雪で雪にまつわっていた。だけど誰だったかが「それじゃあストレートすぎでは?」と言ったらしく、“ちょいひねり”が加わって、漢字が雪から由紀にして「美由紀」になったそうだ。
(余談ですが、我が家のわんこも同じ誕生日で運命を感じます)

小学校の宿題だったかでこの話を聞いた時の感想は、「へ〜分かった」で、あまりにも理由があっさりとしていて、私もサラッと受け入れました笑。

本で紹介されいる通り、自分の名前の由来や名前の字源/語源を、1文字ずつ調べることにしました。

「美」
諸説ある。「羊」+「大」の組み合わせで「美」になったそう。古来より神事の際に供えられるものとして羊は美しく完全であることが求められ、大きくて立派な羊は価値が高く、善いものとされ「美しい」という意味になったそう。ほかにも、「大」は男性を表していて、古代中国の王が頭に立派な羊の被り物をする姿が美の成り立ちとか、羊の群れが狼に襲われそうになったときに勇気を出して前へ出る。身を挺して守る。そんな大きな羊を「うつくしい」という言うようになったとか。象形文字としては「大」が手足を伸びやかに広げている人を示しているそうだ。羊からうまいという意味もある。

音に注目すると、「ミ」「ビ」と読む。「ビ」は視覚や聴力、人の行動の評価を通してそれを受領する人に「感動を惹起させるもの及び現象」をいうとも書いてあった。また、漢字違いだが「御幸」は天皇の外出や旅行を示す。旅好きなので、ちょっとした親近感も湧きました。

<私が「美」から感じ取ったも>
・美しい、形が善い、立派だ、褒める、うまいなど「素敵なもの」によって心がプラスに動かされる感覚。ワクワクや分かち合いの感覚。
・身を挺して大切なものを守ることは私も大事にしたい気持ちの一つにもっている。「大事な存在のためなら行動できる」ことは私のモチベーション。
・立派である、完全であるという状態を目指すこと、向上心や〜ねばならないという強いコミット精神が私には確かにある。

なんだろう?初めて調べた語源なのに、「美」すごく「いつも目指している自分像」を感じました。とても不思議な気持ちです。
続きて2文字。

「由」
底の深い酒壺や樽の象形で、ひょうたんの形に似ていて中身を取り出すために、狭い注ぎ口の一点を通過する様子を表しているそう。そこから拠り所、経由、起因、いわれや理由、手立てなどの意味がある。
「紀」
糸に糸巻きを表す己を表している。糸をきちんと巻き付けることから、筋道をたてるという意味になったと言われている。糸をクルクルと「おさめたり正したり」という意味が生まれ、「正す」という意味から派生して、順序正しく「整える、記す、書く」という意味や、人に当てはめて「人の踏み行うべき道」という意味も生まれた。糸から始まりや糸口。歳月を表したりも。

これもどこか既に自分がこだわりをもっている部分とつながっていると感じたので驚きました。理由は以下です。

<私が「由」と「紀」から感じ取ったも>
・どちらも「道」というワードを感じ取った。「由」は経由するところ、「紀」は筋道を立てて整理し、記すことで次の歳月につなげる感覚が、過去と未来をつないでいる「今」であり「接続、つなぎ」のイメージが湧いた。
・「由」では、自らを経由して由来や理由を伝えることが「自分というフィルターを介して伝聞する」のだという点で「自分らしさや、自分ならでは」の存在理由を示したいという自分の中の強い欲求とリンクした。
・「紀」では、流れを汲み取り形づくること、要所(大事な部分)を探し本筋に起き表現していくこと、次につなげていくことが、今携わっているブランディングの仕事や私の強みにリンクしていて嬉しくなった

本当に不思議な気持ちになりました。
先も言ったとおり語源は初めて調べたのに、ふだんから意識していることやなりたい理想像に触れているものがあってビックリした。「名は体を表す」のか、そういう風にできているものなのか?言霊の一種のようなもか?とても不思議だけれど、なんだか嬉しい気持ちになってきた。

太陽星座がヤギ座だけど、月星座が牡羊座なので、何か関係でもあるかな?なんても考えてしまって、おもしろかった。

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名前にどんな希望を込める?

いろんな「名前」の捉え方がある。
「名前は子どもへの最初の贈り物」
「名前は人生最大のキャッチャー」
「名前はお守りだ」
「名前の中には物語がある」
「名は呪いだ」「名前は祈りだ」
etc...

再び引用させていただくのですが、語源を調べたあとが提案されてます。

どう解釈し、どんな意志を見いだすのか? 自分で決めてしまおう。
不思議なもので、名前みたいな人になっていくし、名前みたいな人生を過ごしていくから、自分の希望をそこに込めてしまおう。
自分の名前の育ての親は、他ならぬ自分自身なのだから。

私は広太郎さんが書いた、この最後の一文がとても好きです。

さあ、私はどんな希望を込める?


自分の名前解釈を決めた

「美由紀」の成り立ちが分かりましたし、自分が感じ取ったことを編みながら、どんな希望を込めていこうか。ここからは「自由」で「私次第」です。

私は感じ取ったことを白紙に思いつくまま書き出し、
それを粗々だけど、まとめてみました。


おおらかで伸びやかに、情熱的に邁進する道を形づくり、美しい生き方を人生を歩むこと。そのコンパスは、美しさや感動を感じ心がふるえるもの。


それを導き出いたのは、以下のようなことを感じたからです。

私の道は、おおらかで伸びやかに美しい生き方を求めていくこと。
人生は冒険だと思った。この先の道に何が起こるかは誰にも分からない。
どこにって、何をして何を感じ、誰と居るかも自由。だからこそ、美しいの成り立ちであるように、心が動く素晴らしいものにたくさん触れて、それを大切な人たちと分かち合って、ワクワクやあたたかい気持ちになりたい。
私たちは過去と未来をつなぐ道に立っていて、そのつなぎめの「今」を生きています。振り返るのも自由、先を見据えるのも自由で、「自分(己)」が何をどう感じるか、つまりはいつも「自分次第」。善いものを伝え、やりたいを形にしていこうと感じ、目指すコンパスは「美しさ」が求めることだと感じました。
そのために、出来事の良い面や本質を見つけ出して筋道を立て、形づくることをしていこう。自分だから感じられたこと、己のフィルターの解像度を上げて伝えていくことで過去と未来、人と人、をつないでいく。残していく。
人として、ときには誰かの拠り所となったり、身を挺してでも守れる存在になりたい。たとえ暗く不安な夜でも、灯火のような希望を感じて前を向けるような存在になりたい。

気がいついたのは、
自然と私の名前は人生のコンパスであり、ミッションを示しているものだと分かりました。

本には、事例の方のエピソードやシートも掲載されているのでぜひ見てもらいたいです。


さいごに

ばあちゃん子だったので、ばあちゃんが付けてくれたというだけで十分嬉しかったし、単純に雪が降った日をひねっただけじゃんか!とそれ以上でもそれ以下でも何も思っていたなかった自分の名前。

調べて自分の意志で解釈を進める中で、自然と好きになってきました。

「な〜んだ」くらいに思っていた名付けの由来すらも、「私がこの世に誕生したその日自体を祝ってくれて、記念日にしようとその日を最も象徴する出来事から残してくれたんだ」と思うと、胸が熱くなって目頭が熱くなったのです。まさか、自分の名前でこんな気持になるなんて思いもしなかった!

小学校までは好きになれなかった名前。女の子っぽくて、私の憧れる活発でハキハキした女の子や、自由に振る舞えるワガママ男子に憧れていたので、そうではない自分にどこか恥らしさを感じていたから。

だけど、たくさんの人に呼んできてもらった名前でもあります。
私はこの名前で生きていこうと思います、愛着をたっぷりもって。

本でも広太郎さんが触れていますが、自分の名前が嫌なら、変えてしまってもいいのではないかというくだりがあります。私も同感です。実際、私の周りにも改名した方や漢字を変えた方もいます。

ずっと付き合っていくのは自分。嫌いより好きな方がいい時間が過ごせると思います。そして、私たちには選ぶ自由がある。行動が起こせるのですから。自分にも、誰かにも遠慮することは無いのかもしれないです。

でも、その前に、自分なりの捉え方をぜひ試してみて欲しいと思います。

「解釈」の練習にはピッタリのファーストステップでしたので、このあとの章も読み進めていきたいと思います。

そして、もし叶うなら、全国にいる本を読んだ人たちが、自分の名前にどんな解釈をしたのかをもっと聞いてみたい。それをまとめた1冊があったら、ぜひ読んでみたいと思いました。


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