ショートエッセイ:物語を浴びたい人にノベルゲームを薦めたいって思った
クリエイターがいっぱい
私がよく実況したり遊んだりしているフリーゲームや個人制作ゲームにおいて、作り手、送り手に対して、プレイヤー、遊ぶ専門の人が少なく、また増えていないのではないか、作り手同士のコミュニティになっているのではないかということが話題になっていました。
これは私自身の実感にも合いますし、同時に「まあ当然そうだよな」とも思います。そもそも「一億総クリエイター時代」と言われる時代です。技術の進化、見せる場所の多様化により創作という行為のハードルが下がっています。
私も人生の中で小説やアナログゲーム、あるいはエッセイ・コラムなど様々な創作の場に触れてきました。私自身は直接していない創作活動としての絵の世界なども見ています。
その経験による実感としてそもそも個人レベルだと多くの場で「プレイヤーと送り手が重なっている」傾向があるでしょう。
私が昔カクヨムで小説を書いていた時もコメントを頂けるのは一緒に小説を書いていた方々が殆どでした。そもそも昔から文芸の世界にはサロンのような作り手同士のシーンってあるものですしね。
さらには純文学の場でも、ある雑誌の読者よりその雑誌の新人賞への応募者の方が多かったというツイートを一度見たことがあります。その話については正確な話かどうかはわかりませんが、雑誌など商業性のある場所でさえそのように作り手が多く受け手が少ない傾向があるのかもしれません。
ちょっと話はずれますがVtuber活動も共に活動するVtuberからコメントやリプライをいただくこともかなり多いですよね。
それでも「見る専」が増える可能性はあるよね
とはいえ確かに「遊ぶ専」「見る専」が増えるにこしたことはないですよね。いや、悪意のあるプレイヤーよりはクリエイターの中でのサロンの方がいいという可能性もありますが、基本的には多くの方に作品に親しんでもらう方がいいはずです。
今回話題になった個人制作のゲームの話ですと私はフリーのノベルゲームを中心に実況したり遊んだりしています。
結論から言うと私はこの界隈には「遊ぶ専」「見る専」が増えていく可能性が十分あると思っています。もちろん絶対に増える!などという無責任なことは言えませんが、それでも信じる、あるいはそれに向けて何かをするだけの価値はあると思います。
その理由は、「物語を受ける・浴びる」ことへの需要は間違いなくあるということです。
その前に大前提の話をします。
そもそも私がよく使うノベルゲームコレクションで作品が数千、数万ダウンロードされたなどもよく聞きます。もちろん2回以上ダウンロードしたなど重複もあるでしょうが、数千、数万って「見る専」「読む専」「遊ぶ専」が相当な人数いないと出ない数字だと思うんですよ。クリエイターが一万人いる感じはしないですよね。
なので、表立って積極的にコミットされる人は少なくても遊ぶだけのプレイヤー専門、「遊ぶ専」はそもそも潜在的に結構な人数いると思います。コメントを出す、感想を書くなど、表に出やすいのはクリエイターとプレイヤーを兼ねている方、あるいは私のような実況者が多いということなのでしょう。その上の話、ということでお願いします。
そういえば、このクリエイター・プレイヤー関係において実況者というのはどう定義づけられるのでしょう。プレイヤー側であるのは間違いないですが、「遊ぶ専」とはまた違いますよね。
物語を主体的に楽しむ人はいる
先ほども言った通り私は様々な創作の世界を見ています。その中から例示すると、私がよく遊ぶTRPGやマーダーミステリー、あるいはストーリープレイングの世界は結構シナリオを遊ぶ専門の人が多いんですよね。実際の比率を計算したことはないですが間違いなくシナリオライター、あるいはセッションの司会進行をするGM(ゲームマスター)より遥かに多くプレイヤー専門で遊ぶ方がいます。
さて、最近TRPGでは「ナラティブ系」「エモシナリオ」と言ったように、ゲーム性もさることながら、それ以上に強烈に情緒を揺さぶられ、物語を浴びることを目的としたような作品群が一大潮流となっています。「情緒が…情緒が…(壊れた)」とうわごとのようにコメントをしている方、ふせったーに長文を書かれている方を何度もタイムラインで見ます。実際そのようなエモいナラティブを生み出すことをしやすいかな?と思うTRPGも出ています。
マダミスやストプレにもその傾向は強いです。シナリオのネタバレに強く制限のかかるジャンルなので具体的な例は出せませんが、それこそ例えば私もプレイして泣いたような作品、終わった後余韻を数日引っ張るような作品もありました。去年やおととしにPLとしてプレイしたシナリオの話をまだしている例も全然あります。もちろん、いわゆる「エモい」だけではなく恐怖体験やコメディーが遊べる作品、哲学的な作品もありますしそれも人気となっています。
また最近は戯曲や台本、シナリオを一緒に読む「読み合わせ」をするイベントやお店が生まれたりもしています。私は行ったとこはないですが非常に気になります。
もちろん、文学や映画、演劇が好きな方の存在は言うまでもないですよね。
このように物語を「浴びる」ことに時間や金銭のコストと負荷をかける人達は全然いっぱいいます。このような需要があるなら、違う形で物語を浴びる手段としてノベルゲームという選択肢をお伝えできる浮上する可能性はあると思っています。実際、私と共にTRPG・マダミスをする友人に私が薦めたノベルゲームを遊んでもらったことがあるのですがすごく好評でした。もちろん、そういう人はその自分のいるクラスタから出ないのでは?という意見もあるし、正直そういう方も多いと思うのですがそれでも選択肢としての呈示はできるんじゃないかと思っています。それこそ前述の友人のように。
具体的に、私や私が仲良くさせてもらっている配信者・Vtuberさんには、TRPGやマダミスもやるしゲーム実況でノベルゲームもやるという方が結構な人数いるんですよね。
考えられる重要な共通項として「物語への主体的な介入の要素」があります。TRPG・マダミスはもちろんプレイによる介入がありますし、読み合わせも自分が読むということでの介入から来る感情の動きがあります。ノベルゲームも最低限の介入であるフリックやクリックから名前の入力、選択肢など、色々な形でプレイヤーの介入を促しそれを物語に入り込む動力としますよね。このあたりの感覚は実はTRPG・マダミス・ストプレを遊んでいる時と近いものを感じますし、読書や朗読と繋がるかもしれません。
あと、これは実務的な話としてTRPG・マダミスってほとんどのシナリオで複数人が集う必要があったり、結構負荷があるので、一人でできるノベルゲームがありがたい瞬間は実況者に限らずあると思うんですよね…。
なので、もともと好きなジャンルへの「推し増し」的に物語を「浴びる」選択肢としてノベルゲームってありなんじゃない?ということが広まっていけばいいなと思います。
今回は私がTRPG・マダミス好きなのもあり例示に使わせてもらいましたが、もちろん映画好き、小説好き、絵本好きなど、他の形式で物語を愛する人にもノベルゲームって絶対刺さる面があると思います。個人的に、フリーノベルゲームって色々な世代・物語ジャンルの方が流入して本当に様々な表現や物語が生まれるショーケースになっているのがすごく魅力的だと思っています。
なので、何か、物語を愛する方々とのブリッジになるもの、キュレーションができていけば絶対注目されると思います…!
できるなら私が伝えられるようになりたいですね…!
これは去年の年末ぐらいに考えていてそれっきりになっている「〇〇が好きな方向けノベルゲーム」紹介記事を…!
ちなみにすでに外へと広まる種は蒔かれ始めていると思っていて、そのあたりはこちらで書いています。
おまけ
一度具体的な例示をしてみましょう!
もしこの記事を読んでいる方でTRPG、特に「クトゥルフ神話TRPG」が好きな方は、最近実況した作品がクトゥルフ感、特にクラシックなクトゥルフ神話TRPG感たっぷりなのでちょっとエモシナリオとは違うのですがぜひ…!
あとTRPG・マダミス・ストプレ好きってこの辺好きだったりしないかな…?どうだろ…?
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