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ショートエッセイ:自分への生存報告を毎日していこう

おはようVtuberという習慣

 

毎日「おはようVtuber」という朝の挨拶をしています

 また、「おはV」については私小説として書いたことがあります。

 この小説では毎日「改めて文化系物書きVtuberになる」と言い聞かせるための儀式として「おはようVtuber」を描いています。

 最近、この儀式って、私から私への「生存報告」なんじゃないかって思ったんですよ。

繰り返す「生存報告」


「生存報告」とはSNSやホームページ、あるいは動画サイトでしばらく更新や音沙汰がない方がとりあえず存在や活動は続いてることを報告するために使われる言葉です。
 「おはようVtuber」ってすごくそれに近い感じがするんですよね。
 メッセージの内容自体よりも、そこでメッセージや画像が出ていることそれ自体が意味があるんじゃないかと思います。「今日はまあまあ元気だよ」「何とか続いているんだな」ということを伝えるために。

 その上で、おはVって報告する相手の中に私自身が含まれているんじゃないかと思うんですよね。
 もちろん視聴者やVtuber仲間、あるいはこれから視聴者になってくれる人にも読んでもらいたいですし、反応をいただければ心から嬉しいです。
 とはいえ、「おはようVtuber」が活動においてどんな価値を持っているかと考えた時に、一義的には自分自身に「はい新しい一日ですよ。今日もまたVtuberですよ。活動を続けますよ」と言い聞かせるのが大きいなと感じています。

自分の心へ報告を


 Vtuber活動ってどうしても色々な不測の事態が起きます。

  • 急に新作が発表されて実況するゲームを変える

  • 参加予定のイベントがなくなる

  • 企画が予想より忙しくなる

  • 体調を崩して休む

などなどなど…。

 1週間という短いスパンでも予定通りに進むことはほとんどありません。私の場合、配信外での作業も執筆を始めとして結構あります。それが予定より進捗が遅れたり突然「あ、このテーマで書きたい!」となって日程が変わることもあります。ていうかこの記事も他の作業の予定飛ばして書いてますし…。

 そのようなあわただしい中で、必ず毎日「おはようVtuber」はしています。
 私は、基本的には幸福な中でVtuber活動をしています。ただそれでも疲れたり辛い日もあります。そんな時にも「最低限のルーティーン」として朝の挨拶をしている。それが思ったより自分の活動を支えているんじゃないかな、って考えるようになりました。

 話は変わりますが、ゴールデンウィークでも思ったんですけどまとまって休むと日常生活や仕事に戻る時変に緊張したりしませんか?

 私はすごく緊張します。

 これが仕事ならそれでも「あー、行きたくなーい」と思いながら少しずつ戻っていくことになることがほとんどでしょう。 
 しかしVtuber活動というのは現在の私にとって仕事ではなく、私のアイデンティティに関わる重要なものではありますが「義務感」はありません。
 
もしVtuber活動を完全に休む日が続いたら、休みが増える度にきっと少しずつ再開する時の緊張やざわざわが強まっていくと思います。
 今でも配信開始には緊張して胸が高鳴ったりしていますが、理由あって数日休むともうその休み明けの配信はドキドキがすごいんですよね。もし「おはようVtuber」という最低限すらしていなかったら、その緊張に耐えられず「ごめん今日休みます…」ってなって、数日後になんとかできるけどそれで疲弊して、そこから少しずつフェードアウトして活動が止まってしまう…、というイメージが沸き上がってきます。 

 画像を選んで、一言メッセージをつけて送信。
 いいねの数を見ながら、リプライに反応。

 そんな、何気ない、さりげない、
 「そんなの活動のうちにも入らない」と言われかねない活動。

 それが私から私の心への「生存報告」になって、私がここまで活動を続けられた理由の一つになっているのかなって思います。「おはV」がなかったら私はもっと活動がきつくなっていたかもな、と改めてそんなことを思いました。

とりあえずは最低限を


 そしてこれはVtuber活動以外、例えば仕事や学業にも言えることなんでしょう
 例えば仕事がうまくいかなくても、何か一つ、毎日やるルーティーン作業だけやって「最悪これはできたし!」とか、毎日の勉強も「今日はやる気しないけど最低限問題集1ページだけやろうか」とか、最低ラインのルーティーンを決めて、それだけはやることを自分の心への「生存報告」として自分の肯定感やモチベーションを保てたら長く続けやすいんじゃないかな…なんて思ったりしました。というより私自身がそういうルーティーンをちゃんとしておけばよかったな…と。仕事が続かないこともあったし宿題を締め切りの日に一気にやるタイプでしたので…。
 とはいえ、その「生存報告」を保つためには「最低限をこなすことを肯定・称賛する」文化や周囲が必要だとは思いますよね。「その程度できて当然だ」って言われたら肯定感折れちゃいそうですし…。
 そう考えるとVtuberの世界は「朝の挨拶できてえらい!」「呼吸出来てえらい!」という肯定文化なところがあるので、そういう意味で「最低限のルーティーン」を作りやすいのでしょう。日常世界と比べたら「甘い」と言われるかもしれないですけど、この「優しさ」の中だからこそVtuber活動を続けられていることに感謝したいし、世の中もこっちよりになってくれるとありがたいものですね。

おまけ

朝の話をしたので朝にした雑談枠を紹介します!昭和レトロの話などしているのでぜひ見てみてください!


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