見出し画像

映画『デジモンアドベンチャー02 前編・デジモンハリケーン上陸!!/後編・超絶進化!!黄金のデジメンタル』(2000)簡易感想〜高石タケルの妄想と脚色てんこ盛りな歪んだ友愛(フィリア)〜

とりあえず大輔&ブイモン推しとして絶対避けては通れない映画『デジモンアドベンチャー02 前編・デジモンハリケーン上陸!!/後編・超絶進化!!黄金のデジメンタル』(2000)を見たので、簡潔ながら感想をば。

評価:D(凡作)100点中45点

大輔とブイモンの魅力が伝わったという点においては80点なのだけれど、その他諸々に関してはお世辞にも良いとは言えないので−35点してこの点数という感じかな。
というか、前々からこれは言い続けてきたことだし今更だと思うが、改めて言わせてくれ。

デジモンのアニメシリーズは本当に燃えるバトルシーン描くのヘッタクソだなおい!

関弘美曰く「2000年夏の『02』劇場版はヨーロッパの独立プロダクションなんかの映画の作り方」とのことらしいが、とりあえず渡米しとけば何でもハリウッド風にできると思うなよ!
いやもうだいぶ前の作品だし今更批判したって致し方ない部分はあるが、山内重保監督の難解を装った演出も含めて思うのは「デジモン」は決して「大人の鑑賞に耐える高尚な文学作品(笑)」を出すための場所じゃない
後に『明日のナージャ』(2003)で商業的にも内容的にも時代錯誤なことをやらかして当時の女児をはじめとした視聴者層から総スカンを食らった関弘美の悪癖というか短所・欠点のようなものが露呈しているだろう。
恐らく本作は『夏への扉』と似たスタッフ陣が作っているから(脚本が吉田玲子の時点でお察し)、「ウォーゲーム」と違ってバトルやエンタメ性よりもドラマ性に重きを置いたと見て相違ない。

半年前に公開された「THE BEGINNING」で「戦闘シーンが少ないのが不満」との声があったが、それを言ったら本作の方がよっぽど戦闘シーンは短いしパワーバランスも滅茶苦茶である
ケルビモンの踏み台扱いされているセラフィモン(歩く敗北フラグが決定した瞬間)とホーリードラモンに、マグナモンまでテレビ版と並んで不憫な扱いにしているのだから、ロジックもセンスもへったくれもない。
本作に対して寄せられた批判に対して細田守監督らは「どうして、あの『デジモンハリケーン』の面白さが分からん!?」「技術や理屈を超えた破天荒ぶりがある」といったが、この時点で負けを認めたようなものだ。
どんなに個性的で素晴らしい演出手法を持っていようがそれがきちんと視聴者の潜在意識にあるニーズを満足させ、なおかつ「こんなの見たことがない!凄い!」と思わせるような驚きや衝撃を与えなければ無意味。

私が大輔&ブイモン推しであることで何とか見られた部分はあるが、そうじゃなかったら本作に関してはF(駄作)の一言で切り捨てていただろうし、こんなしょっぱいものを何度も見返そうとは思わない。
確かに私自身は商業主義が露骨に出すぎているのは好きではないが、だからと言って本作みたいに来てくれる層を全く無視したような似非名作劇場路線なんぞやられても「だから何?」としか言いようがない
それから大輔の描写に関しても疑問符がつくというか、吉村元希や前川淳・まさきひろですらもほとんど取り扱っていなかった「ヒカリちゃんLOVE」を「夏への扉」でも必死に押し出そうとしてるの何なん?
「ウォーゲーム」「ディア逆」でもそうだったけど、この人が描く脚本って明らかなノイズでしかない「少年少女の淡い色恋」みたいな要素を出してくるのがもうこの辺りになると腐臭・ノイズでしかない。

まあいわゆる「イケメン同士が〇〇してて萌え〜」みたいなことを宣っていらっしゃるどこぞのおつむ残念なマ○コ共とは違って、私はあくまでもキャラ萌えじゃなくヒーローがしっかり活躍する作品を見たいだけなので。
特に序盤のタケルの次の一言に私はカチンと来たものだ。

「大輔くん、この写真見たら怒りまくるだろうなぁ~」

これに関してはタケルにガチで殺意が湧いたというか、デジモンカイザーをフルボッコにした暗黒進化のシーンと並び彼を完全に画面の外に抹消したい衝動に駆られたほど。
ただ、タケルに関しては吉田玲子だけじゃなくそもそも幼少期の関弘美自身の性格も写し取っていると言っていたから、逆に言えば幼少期の彼女が人の傷口に塩を刷り込んで平気な顔していられるサイコパスだというのはわかるが。
無印の時から思っていた高石タケルと八神ヒカリに対する気持ち悪さというか違和感の正体って何だろう?と思ったわけだが、タケルに関しては本作で1つそれに近い答えが出て、それが「ダークトライアド」である。

「ダークトライアド」とはメンタリストDaiGoも提唱していた「マキャベリアニズム(狡猾で人を操作しようとする、他人を信用せず目的のために手段を選ばない)」「サイコパシー(共感性や良心の欠如、表面的な魅力、衝動的、反社会的、冷淡)」「ナルシシズム(自己陶酔的、強い自己顕示欲、利己的)」を兼ね揃えた、いわゆる「唾棄すべき邪悪」とでもいうべきもの。

タケルとヒカリ、何だったら彼ら2人の憧れの源泉である八神太一もこの傾向に当てはまる気がして、黒歴史と批判された「tri.」もこれがよく出ていたけど、私が彼らを好きになれない心底の理由はここにある。
だからと言って彼らは根が悪人かと言えば普段はむしろ善人の皮被ってるのが余計に大嫌いというか、ミミがフォロー入れてくれなかったらとんでもなく危なかったわけだから。
まあこんなことをやろうとしたツケは本作でいえばパートナーデジモンが究極体になったにも関わらずあっさり瞬殺されるそのかませ犬っぷりで祟っているし、後半でも完全に脇に追いやられて大輔と賢に持ってかれてるので見事な因果応報なのだが。
私が漫画版はともかくアニメ版の「デジモン」で好きになれない理由の一つは正にこの陰湿かつ陰険なタケルとヒカリの気持ち悪さ・性格の悪さにあって、マジで何でこいつらが「希望」「光」に割り当てられているかさっぱりわからない

まあそれはさておき、大輔&ブイモン推しの私としては彼らなりの「友情」がきちんと見られたところではあり、ウォレスとチョコモンのことを思って涙を流すシーンは数少ない本作の美点であろう。
意外に思われるかもしれないが、本宮大輔は基本的に鋼メンタルなので実はテレビでも劇場版でも涙を流すシーンはあまりないのだが、だからこそここで涙を流すシーンにある種の驚きがある。
それは太一やヤマトが涙を流すのよりも意義があって、太一やヤマトが涙を流すときは決して「他人のため」じゃなく「自分のため」であり、意外に大輔よりも彼らの方が涙脆いのだ。
まあ弟への過保護さが行き過ぎているヤマトは暴走機関車だったし「友情」の紋章の持ち主だから分かるとしても、意外とドライで合理主義なカリスマリーダーの太一も涙を流す。

例えば無印19話でナノモンに空をさらわれた時も自分の臆病さと不甲斐なさに涙を流していたし、ダークマスターズ編に入ってヤマトと喧嘩することになった時やヒカリが高熱を再発した時なんかも涙を流していた。
そして何より「ラスエボ」のラストシーンでパートナーである彼らと別れるシーンでのあの涙は忘れられないだろう、常に「別れ」が伴う彼らは涙を抜きにしては語れない。
しかし、大輔は人情深い性格でありながら実は02のメイン回で涙を流した回は全くと言っていいほど無い、意外に思われるだろうが大輔は自分の不甲斐なさで涙を流すことはないのである。
「プライドがない」といえばそれまでかもしれないが、彼は悩んだり不満を持ったりすることはあっても、自分のために涙を流すことはないしそんな暇があるなら前向きに行動して乗り越えようとするだろう

そんな滅多なことでは心折れない大輔がウォレスとチョコモンのことを同情だとか憐憫だとか偽善だとかでなく、ただただ相手を思って純粋な涙を流し寄り添うところは驚きである。
テレビシリーズではなかなか見られない大輔の意外な一面が引き出されたということなのだろうが、この辺りは「Vテイマー」の客演回とはある種好対照を成すシーンではなかろうか。
硬軟併せ持つ」とでもいえばいいだろうか、無印だと太一が「硬」でヤマトが「軟」だったのだが、勇気と友情を両方継承した大輔は男前に決めてもかっこいいし、情深さを表現しても絵になってしまう。
しかもそれだけではない「相手を純粋に思いやる底なしの(だからこそ時に残酷すぎる)優しさ」を持っていて、それらが合わさった時に「奇跡」が起こり、勝率0%の戦いにも勝ててしまうのではないだろうか。

正にそれは他の選ばれし子供には決して持ちうることができない、大輔とブイモン独自の個性であると言ってもよく、「Vテイマー」の客演回がその奇跡を「テイマー」として表現したのなら、こちらは「人間性」として表現した感じだろうか。
そしてアニメシリーズはあくまでも「高石タケルの私小説」ということを鑑みれば、本作は正に高石タケルの妄想と脚色がテレビシリーズ以上に入り込んだ、彼なりの大輔に対する歪んだ友愛(フィリア)の作品だったのかもしれない。

「オレにだってできないよ……!もし、ブイモンが今のブイモンじゃなくなって……とてつもなく凶暴になったとしても……あいつを……ブイモンを倒すなんて、絶対できない!だけど、太一さんたちを救うには……お前のチョコモンを倒さなきゃならない……!こんなのって……どうしたらいいんだ……!」

これはあらゆるデジモンシリーズの主人公の中でも大輔のみが持てる「強さ」であり「優しさ」でもあって、これが唯一大輔に深手の精神的ダメージを負わせたシーンだと言っても過言ではないだろう。
実際この後はキメラモン戦しかり「Vテイマー」の時のパラレルモン然り、そしてダークタワーデジモン然り、大輔が敵デジモンを倒すことに対する躊躇いそのものは少なくなっていく
よく、太一たち無印組は「あいつらは敵デジモンを倒す覚悟ができていない」などと言っていたが、少なくとも大輔とブイモンに関していえば友情のデジメンタルを手に入れた時点でそれは吹っ切っていたと思う。
敵であろうとも救う余地がある」と本質的に見抜いている相手に対しては倒すのを躊躇ってしまうだけであって、そうじゃない混じり気なしの敵デジモン相手に大輔が倒すのを躊躇ったことはない

大輔は確かに優しくそして明るい、ただしその優しさと明るさは決して無条件のものではなく彼なりの一線があって、そこを超えるか超えないかというところで判断しているのではないかというのが本作からは伺える。
そういう「本宮大輔とはどんな人となりか?」というのを、全部ではないにしても「ああ、これが本宮大輔なのか」と思わず唸らせてしまうだけの「何か」を本作が持ち得ていたことだけは未だに衝撃の事実たり得る。

本宮大輔は決して単なる三枚目でもなければバカでもない、単純明快そうでありながら奥底は物凄く器が大きく、それでいて見ている側の誰にも読み切れない魅力的な人物だろうし、今後もそうあり続けて欲しい。
その一端を垣間見せてくれたという点において本作はそこそこいい仕事をしたと言えるのではないかと思うし、高石タケルなりの大輔に対する不器用な愛情表現としてあえて嫌われることを厭わない演出にしたのだろう。
奇跡の紋章に関しては別項にて考察の対象とさせてもらう。


この記事が参加している募集

アニメ感想文

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?