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母親の自己愛-『不登校を見守る』とかなんとか言うけれど【加筆訂正あり】

午後、少し時間が空いた。
せっかくだからドライブしようと思い立つ。
「お天気が良いから紅葉を見に行かない?」
と家にいる次女にライン。

「行く!」とすぐに返信。

玄関を開けるとジャックオーランタン。
次女がオレンジを使って作ったという。

器用なもんだなぁ。
そしてその発想力よ…。

私には無いモノを持つ次女を素直に尊敬。
「器用だねぇ。めちゃくちゃかわいい!」
と言葉に出して伝える。
「中にろうそく入れたいの。一緒に探して?」
に応じる。

それから。
車を走らせ山道をのぼり。

湖面に映る紅葉と秋空

絶景を眺めつつ、ベンチに隣り合って、おやつを食べる。

「いま何時?」と次女。

13時30分。どした??

「いや、今ごろ学校では休み時間だなって。みんなが給食を食べ終わって遊んでいる時間に、私は絶景を眺めながら美味しいおやつを食べているんだなって思ってさ。」

なるほど。

「今日、ここでこの景色を見られて良かったって思ってる。」

そかそか。
何より。

誘ったかいがあったよ。

「明日は担任の先生と約束したから学校に行くんだよ」

あ、そうだったね。

「おにぎり作ってね?あとチーズとフルーツだけ持っていく」

給食、食べたいなら、再開するよ?

「いや、ママのおにぎりの方が、嬉しい。」

次女は。
色々な選択肢の中から。
自分で選んで自分で進む。

進みたくないときは止まることもできるし、止まって良いってことを知っている。

これが次女の強さだな。
と、あらためて尊敬する。

「今日はピアノのレッスン日だから、ジャックオーランタン、先生に見せてくるね!行ってきます!」
と元気に家を出て行く。

長女だけではなく。
いつか、この背中も。
見送る日が来るのだろうなぁ。

もちろん寂しく感じるだろうけれども。
やっぱり、その日は来て欲しいと願う。

その訳は…。


「不登校を見守りましょう」と。
盛んに言われてきた。

無理強いするのではなく。
親の希望を押し付けるのではなく。
自ら動き出すまで、見守りましょう。
と。

でも、このところ。
それも違うなって思う。

「見守る」と「放置」の違いに
悩む親もたくさんいる。
私だって、そうだ。

放置なのか。
見守っているのか。

自分がしていることが何なのか。
わからなくなる。

どこが境界線なのか。

自分は親としての責任を果たしているのか。

自問自答を繰り返す。

でも。
最近、わかった。

別に見守る必要はないんじゃないか。
我が子の「何か」を待たなくてもいい。

ただただ、一緒に、生きる。

それ以上のことも
それ以下のことも
考えなくていいんじゃないだろうか。

子どもはきっと。
ただ一緒に生きて欲しいのかもしれない。

そして。
気が済んで。
力がついたら。

自分ひとりで歩き出す。
そんな気がする。

だから待たない。
待つのは辛いことだから。

でも、やっぱり、いつか。

私がこの世を去る前に。
子どもたちの背中を見送りたい。

心置きなく私がこの世から旅立てるように。

あ。
やっぱり自分がかわいいのか、私は。笑

でもなんか。
それで、良いような気もする。